Like a notebook

イニシャルHの研究

タイトル未定(進路について聞かれたときのあれこれver2020)

 今月中にこういう話を内向けの文書で書く必要があるのと、最近になってこういう話を年下にする機会があったのでここに書いておく。だいぶ前にも一度書いたこともあるけど、当時の記事のリンクを失った。

 

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 大学院に入る前も就職活動はしていた。そのときにはグループワークとか社員訪問とか合同説明会とかに何度か足を運んだわけだが、当時の僕はそのなかで4つ感じたことがあった。

1.学生における企業の人気というのは概ね、マスメディアを通じて消費者に名を知られているかどうかで決まる。本質はどうでもいいらしい。

2.働くに際しては何かしらの付加価値を生み出すことが求められているが、その前提となる考え方や知識というのは働きながら身につくものと、そうではないものの二種類がある。

3.「合わない」会社というのは確かに存在する。それは入り口の段階で既にわかるケースがある。

4.景気が良い状況なら、選びさえしなければ仕事だけならある。金銭や相性とのトレードオフにさえ折り合いをつければ、両方を失っての就職をする必要はないかもしれない。

 

 当時の僕は研究職に関心があったことに加えて、働くにしても2.でいう働く前に身に着けるような知識や感性に少し乏しいと思っていた。そういうわけで、大学院に進むことにした。大学院では計量的な技法を身に着けることと、英語をある程度使えるようにすること、専門的な視野を身に着けることを目標にした。

 「学生のうちにしたいこと」としての海外渡航と「社会科学でも特に応用に近い分野の学習を深めたい」ということを満たすために、縁あってスイスにある異分野交流型国際保健の大学院に留学した。

 

 色々な事情から研究職でやっていくことは断念せざるを得ない状況になった。「様々なハンディキャップを乗り越えてでも、アカデミアに残りたい」という気持ちがなくなっていたことが一番の理由だと思う。

 もう一度就職活動をするにあたっては、若さという最大のアドバンテージを有した学部卒との比較をされることになるので、以下の2点を自身の売り出しポイントとして、応募する企業に応じてこれらの押し出しを変えていくことにした。

1.海外経験:留学の甲斐あって、ある程度は英語が喋れるようになっていた。フランス語も多少は話せる、という感じだった。実際に1年インド人とカメルーン人とアメリカ人と国籍不詳の男性と共同生活を送ったので、異国で/の人とやっていけるという点については説得力があると思った。

2.リサーチ能力:自分の研究のこともあるが、以前のエントリで書いたように孤児著作物の著作者の生没年発見とかもやっていたとので、これもそこそこ説得力があるだろうと思った。

(本当はもう1点あって、柱を3本設定していた気がするのだが忘れた)

 

そういうわけで、業種は以下にしぼられた。

・リサーチ能力とあちこちにいった経験が活きそうな報道関係。多くのOBOGが就職していたのでイメージもつかみやすかった。

・同上のコンサル。パワポに凝るのも結構好きだったし、コンサルの資料を学部のころからたまに読む機会があったことが影響していたと思う。

・研究分野での知識が活きそうな不動産関係。元々好きだった分野だった。

・ノンフィクション、特にアカデミックな著作物を取り扱う出版社の編集。大学院生優遇の会社もしばしばあった。

 

閉め切りやエントリーが早い順で列挙したので、実際に対策をはじめたのも報道からだった。あくまでこれは僕の志望した会社のばあいであって、例えば、出版関係も早いところはあるが、就職活動の中で最速、というほどでもなかったし、僕が関心を持っていた会社は特に遅かった。

 

最終的には、不動産のコンサルティングや管理、仲介を行う外資系の会社に入社することに決まったのだが、今にして思えば、1と2の僕の売り出しポイントが両方必要な会社だったようだ。

 ただし、僕がこの会社の採用試験を受けるに至ったのは、そういった戦略的(ないし打算的)な方向からではなくて、純然たる運によるものだった。たまたま、普段からよく見るメディアが不動産関係の企業の特集を組んでいたことがあって、それでたまたま会社の名前を知った。その会社がたまたま新卒採用のイベントを関西で今年からはじめて、たまたま関連会社の保有物件の名前を僕が知っていて、たまたま「この年までは景気が良かった」。僕の経歴や準備は選考プロセスのどこかでは確かに役立ったと思うが、それだけでうまくいくほど世の中は精緻にできていない。偶然がいくつも重なっていた。同業他社の競合の会社と僕はかなり相性が悪かったので、本当に一つ歯車が狂っただけで、僕の人生はもっと違うものになっていたと思う。

 もっと言えば、僕は就職活動という仕組み自体と相性が悪い(才能がないしそこで努力もあまりできない)気質だったので、内定先には「拾ってもらった」と言った方が正しいかもしれない。財閥系の企業(の社員)には何度も冷たくあしらわれたし、それ以外でも学生が常に受け身とされて、「育てる甲斐のある人間か」を審査されるようなプロセスに一定の居心地の悪さを感じていた。ストップウォッチで時間を測定されたり、質問が一切許されない面接もあったりした。総合職という実際には何の意味もないような肩書にも戸惑いを感じていた。今自分ができることから想像のつく労働のイマジネーションが全く結びつかないのだ。自分の人柄やスキルセットから考えて、Aという業務を志望するとは言えるけど、同じ前提から「Xという会社を志望します」という結論をどうしても導き出せなかった。普通はそういうことに違和感を抱かないのだろうし、それどころか、総合職へのモチベーションというのをうまく文書で作成できるのだろうし、僕はそういう意味では、社会適性のない人間なのだろう。

 

itoyosuke.hatenadiary.org

 

このitoyosukeという人が書いた記事と、その前提となっているyo4ma3という方の記事は読む価値があると思う。僕は後者の方の記事のような戦略をはじめはとったが、結果としてそうした才能はなかったし、そういう準備とパフォーマンスが求められる会社には全く相性が合わなかった(というか実力が及ばなかった)。結果としては、前者の記事の正しさを身をもって理解した。