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イニシャルHの研究

京大野球部の本を読んだ話

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洋画の捻りすぎた邦訳タイトルみたいに長い書名だけど、面白かった。内容の大筋としては、コロナ前からコロナ禍中の京大野球部がリーグ戦の優勝(勝ち点をとる、とかではない)という目標に挑戦する様子を、個々の選手、監督、アナリストの概ね10名程度に焦点を当てて描写したノンフィクションといったところ。

この本で僕が面白いと思ったのは、京大野球部って案外、感性を重視しているんだな、というところだった。他のチームの関係者や選手の言行にもそれなりの分量が割かれるので、そこと対比してみてもあまり差がない。考えすぎると不調になる、という評価がある一方で、不調に入った選手のコメントはそれほど採用されないので、楽観的な感性(感覚)ベースのコメントが多くなっていたのかもしれないし、書籍の方針でそうなったのかもしれない。感覚は誰とでも通じる可能性がある一方で、複雑な思考は誰にでも理解できるわけでもない。

つまり、野球をする際の考え方や発想の点では、京大であることの明確な強さは見られなかった。野球をする人間の個性とか制約(授業や実習との兼ね合い、進路に関する選択肢など)としての要素ではあるが、プレーヤーとしてはあんまりどこの学生であっても変わらないように見えた。違いというのはむしろ、監督やアナリストが選手を面とか時間軸というフィルターを通して見つめながら、起用法を考えていることに対して、選手は目の前の出場機会、打席、投球回における最善を常に考えている、というところが明確に表れていたと思う。これもたぶん、何処のチームでもよくあるところだとは思うが。

データに対する嫌悪感、という言葉が主力となる選手に添えられていることも意外だった。その点での優位性を最大限に生かしてプレーしているのだと考えていたし、実際にベンチには多くの張り紙をしているようだ。その一方で、ラプソードで見た球質というところ以外で、分析というものに目立ったものは描写されなかったような印象を受けた。ただ、これはあくまで僕自身が「分析」という言葉に対する期待値を高くしすぎたせいに過ぎなくて、他の人が読めば「京大生ってよく考えて野球してるんだね!」とかになるのかもしれない。というわけで、この本を知り合いにあげて読んだもらうことにした。結果はいずれ。