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イニシャルHの研究

庭園は儚い

週末は隣の隣町ぐらいのところにある、かなり大きな図書館で勉強をしている。ただ、自習だけで座席をとるのは規則上でも精神衛生上でもあまりよろしくないものなので、とりあえず座った座席の近くで一冊本を取る。飽きたらたまに読んでみて、また勉強をする。そういう具合でこのごろはやっている。

この前読んだ本はこんな本だった。

honto.jp

麗しきイスラーム庭園の写真がさぞてんこ盛りなのだろうと思いきや、景観復原の話がメインであって、やや驚いた。

 

個人的に関心を持ったのは、「庭園は儚い」というようなくだりだった。というのも、庭園は地理的には昔から今までそこにあったかもしれない。だけど、その庭園ができたころから今に至るまで、どんな草木が植えられていたのかはあんまりわからないらしい。9世紀の世界における花壇を彩った花弁の色と、現在の花壇を覆うそれらの色は全く異なるかもしれないし、草木の種類や規模そのものさえも、大きく異なる可能性がある。「あぁなんと耽美なお庭なんでしょう」と、イブン・バットゥータが感動した庭が万が一僕の世界に残っていたとしても、感動を呼び起こすRGBはだいぶ違うかもしれないですよ、というわけだ。その点、人工的な建築物ないし絵画というものは、そういうことが起こりにくいと考えられるものの、我儘な性分なもので、変わりゆく中で絶えず本質的な美をもって人々を引き付けている庭園の方が、むしろ素晴らしいのではないか。という気持ちもある。鑑賞者ないしは庭園それ自体が移ろいゆく中でも絶えず、美を感じさせる庭園があるのだとすれば、本質的な美しさ、みたいなものを備えているのかもしれない。そういう本質的な美なんてものはない、っていう考え方もあると思うけど、僕はある、と思っている。

 

あとは、都市における水道の整備というのはとにもかくにも重要で、いずこの王朝が首都を遷都したけど結局やめてしまったのは、河川工事の引き込みにお金をかけた割に上手く行かなかったことが原因だったようだ。今現在、僕も仕事ではビルの一角に給排水設備の取り付け有無だとかその可否だとかを毎日毎日問い合わせているけれども、既存設備がないところの費用の高額さたるや、というところだ。そもそも設計段階で給排水の良しあしをちゃんと考えないといけないのですよ、みたいなことは、おうちの設計を題材にしたこちらの漫画に詳しく書いてある。

www.xknowledge.co.jp

 

なるほどミクロからマクロに至るまで、水利というのは空間において重要な要素というわけだ、などと社会人らしく凡庸な締めとしてしまった。