Like a notebook

イニシャルHの研究

1年目のあれこれ

某所用の原稿を一部切り取った。

 

現状で言うと、全くもって冴えない営業職という体たらくである。売り上げのほとんどは営業以外の得体のしれない業務から得ている、名ばかり営業職なのだ。とはいえ、有給も休暇も幾度となく失い、残業も沢山積み重ねた結果の現状であり、こちらとしては、「できる限りはやりました」と述べる他にない。誠に情けない結論だが、控えめに言っても僕は「早熟の/天性の営業職向きの人材」ではないし、この1年を基に人間性全体を俯瞰するのであれば、僕は「営業が向いてない」のかもしれない。

 

こういうことを仄めかすと大体、「営業は才能じゃない!」みたいに言う人が社内外から僕の目の前に押し寄せてくる。しかしながら、この言葉に付け加えられる根拠紛いのエピソードは、いずれも壮絶かつ再現性が全然なさそうなもの(「毎日電話をnn時間するのをnn年続けるだけ」とかそういうの)ばかりで、「いやそれを成し遂げられた時点で君は向いてるんだよ、生存者バイアスだよ……」という気持ちが心の底からにじみ出る。東大に入った知人がかつて言い放った、青チャートだか赤チャートだかを全部読んで覚えたという、魔術的発言と同じ類だと考えている。

 

むろん、僕が易々と行うことの中に、社内の誰しもが全くできない作業も幾つかある。ただ、それは今の僕のポジションにおける、直接的な評価基準に含まれたり、直接的に繋がったりするものでもない。要するに、世の中には適材適所がある、ということなのだ。

ロジックと名乗る資格もないような身勝手で再現性や根拠に乏しいストーリー展開に、内心では戸田山和久に土下座してください!とか絶叫している。マシュマロみたいにふわっとした「エビデンス」を請求されたり提示されたりするたびに、「専門家でもないやつの意見がまずエビデンスって言わないよ。ロスマンの疫学をご栄転の際にはお送りいたしますね」とか内心では考えているのだ。魂が実務に向いていないのだ。

 

話を戻してもう少し、職務に即した具体的なところで述べると、部署の都合で主に取り扱うアセットタイプが限定されていることと、周囲の人々の(平均してみたときの)知的好奇心の薄さに対しては多少の物足りなさを覚えている。取引としての幅広さはあるけど、知的関心はあまり充たされない。一般に膾炙した形であれば、好奇心は猫をも殺すのだが、僕の場合はアフターファイブと休日が幾度となく殺された。凡庸なオフィス仲介新人の仕事をしながらリサーチアシスタントをこなすとなると、素人は時間を沢山売るしかないのだ。法定外が今月は95時間、先月が60くらいだったと思う。年平均で40~50かな。休日は全く打刻しないので、実態としては+10~20くらいするかも。

 

こうして線形的に増加していく残業時間については、本心では前職以来、稼働時間の長い生活を送っていたことから、ある程度耐えられると踏んでいた。呪詛は沢山吐いているけれども。だが、ここ最近ではこれまで滅多に行くこともなかった病院に世話になる機会も増えてきた。これが加齢のせいなのか、それとも蓄積疲労なのか、あるいは単純に僕の限界が近いのか。どれが正解なのかはわからないけれども、僕より激務の人間もまだ沢山いるので、死にはしないと思う。知らんけど。通院はあると思う。

 

宝くじ当たったらまずは院に帰りたいですね。おわり。