Like a notebook

イニシャルHの研究

女のいない男たち、トムボーイ、プロミシング・ヤング・ウーマン

 先週観た「ドライブ・マイ・カー」がかなり良くて、今週の日常生活の間にも余韻がちりばめられてしまって、中々な悩みとなっていた。

 そういうわけで、この映画の原作となった短編集を読んだ。

女のいない男たち(村上春樹、2016、文春文庫)

映画に該当する2編は存外あっさりした物語で、そこまで深く印象にも残らなかった。そういう点から、今回の映画は本当に脚本が素晴らしいし、脚本に留まらず作品全体としても素晴らしいのは前に書いた通りだと、改めて感じた。やはり機会があればもう一度観たい映画だと思った。長い上にテンポが比較的ゆっくりした作品なので、家で見るよりも映画館で観たほうが良いと思う。今年ベストになりそう。

・・・

 昨日はトムボーイとプロミシングヤングウーマンの2本を観た。

www.finefilms.co.jp

トムボーイは、「燃ゆる女の肖像」の監督を務めたセリーヌ・シアナの作品。10年前に公開されて、欧州で様々な賞を獲得したようだ。

内容としては、男の子になりたい女の子("ミカエル")に主眼が当てられている。シーンの転換ごとに映し出される妹の「女の子らしさ」を感じさせる嗜好や遊び方が、主人公との対比を強く印象付けていた。音楽の用いられる場面は非常に少なく、それが緊張感というよりもむしろ、日常を覗き見るように感じさせられた。カメラのアングルも相まってか、もう一人の妹/弟として家族に入り込んだような雰囲気があって、深刻な悩みを扱うようでありながら、そこまで気負わずに見ることができた。子供のふくらはぎだけをカットの入りで数秒見せた唐突さというかアイデアの突飛さとかが、どこか子どものそれを感じさせたのかも。

 子供の世界というのは、大人になってしまうとどこか美化されがちなのだけども、実際にはいじめもあれば差別もあって、それなりに過酷だし、キツいところもある。今回はそれに加えて、主人公がかなり複雑な問題を内面的に抱えている。そういうところが当たり前のように描かれているのだが、作品を重たくはさせていない。そういう描写が良いなと思った。あと、「燃ゆる女の~」でもそうだったけど、この作品はどこか自分の時間感覚が狂わされるところがある。90分なのにもっと長く感じる。監督の作風なのかな。

 

プロミシング・ヤング・ウーマンは普段の僕はあまり見ない、大きい映画供給会社(ユニバーサル)の作品だった。挿入歌の入れ方や役者のチョイス、カットのあれこれがだいぶブロックバスターらしさを感じさせて、これはこれでよいと思う。この作品の面白いところは、重要な役割を占める「ニーナ」が全然出てこないところにある。あくまでカサンドラに寄りそう構成なので、狂気の度合いがますほど、話が進むほど、「あぁさぞ素晴らしい女性だったんだろう」と思わされる。……のだが、実際には、一歩引いて考えれば、カサンドラは初めから終わりまでずっと頭がいかれていて、「一瞬だけまともに見えた」というのが正しいように思える。最後の警官の捜査に対する両親やライアンの「彼女はおかしかった」という指摘はあくまで正しい。もちろん、それなりの事件であっただろうことを考えれば、ある程度納得はできるけども、「ニーナにアルが張り付いておかしくなった」というカサンドラのセリフは、彼女に対してそっくりそのまま言えることではないか、と思ってしまう。カサンドラにはニーナが張り付いている。呪縛のように。最後の最後のシーンは、いかにも創作らしいどんでん返しの仕組みになっているのだが、現実の世界から眺める僕は、その手前でいつも被害者が消えているのだろうな、と思う。隠されて、忘れられて、苦しみ続ける。そういう人たちがいるし、それは今の社会のパワーによって無理やりに抑え込まれてしまう声なのだろう。というのが、もしかしたら枕で声をかき消すシーンが想起させたかったことなのかもしれない。 

 この作品を見ている間、僕はずっと『ミズーラ』のことを思い出していた。その本の内容はかなり忘れてしまったが、「将来有望な男子学生の芽を摘むのか」といった擁護や、「証拠が不足している、女性にも責任がある」といった女性被害者への批判(ないし「落ち度」としての指摘)は現実に存在するようだ。内容的にも物理的にもヘビーな1冊だが、この作品のテーマに関心を持つ人であれば、得る物は少なくないはずだ。

www.akishobo.com

 

今思ったけど、promising って前途有望みたいなニュアンスだし、たぶん「若さ」を暗に示すようなワードだと思うのだけれども、それがわざわざyoungって形容詞にかかっている。ともなると、若さを失った(30になった)彼女の物語がpromising であった可能性は元からなかったのかもしれない。中々つらい作品だ。やっぱり創作でよかった。死んだ人間はずっとpromising、ということもできるので、二人ともpromisingであり続ける――ただし、その期待値は永遠に現実のものとならない――ともいえるのか。うーん、どっちにしろ辛いところだなぁ。創作でよかった。