Like a notebook

イニシャルHの研究

ロスリング and ヘルエスタム『私はこうして世界を理解できるようになった』:『ファクトフルネスより』面白いかも。

前書き

前回(↓)は『ファクトフルネス』の感想でした。

 

chanma2n.hatenablog.com

 

今回はハンス・ロスリングの伝記である『私はこうして世界を理解できるようになった』(ハンス・ロスリング,ファニー・ヘルエスタム 著,枇谷玲子 訳.2019.青土社)の概要と感想です。

青土社 ||歴史/ドキュメント:私はこうして世界を理解できるようになった

 

ーーー

この本はファニー・ヘルエスタムというスウェーデンのジャーナリストが執筆した自伝風の伝記だ。ハンスへのインタビューを中心に、妻アグネータの証言や過去の講演および手記などを基にして書き上げたとされる。以下、簡単に内容をまとめたものを掲載しておく。

 

概要(ハンス・ロスリングの人生)

 祖母の世代も含めて、ハンス自身が遡れる範囲では、彼の家系は決して著名な出自を持つものはなかった。すなわち、各時代における一般的な労働者たちが出会い、家庭を築き、連綿と命をつないで、ハンスは生まれた。戦前の技術革新から戦後の好景気にいたる時代で、スウェーデンは手厚い福祉政策に特徴がある先進国へと変化した。その時流に乗って、ロスリング家もまた、世代を重ねるごとに、学歴を経て、所得も上がり、徐々に近代的な暮らしを手に入れたのだった。そして、その果実としてハンスは医学部に入学し、世界各地を旅して回った。

 大学に入学すると、彼の社会民主党青年団での活動も同時にはじまった。彼の父が、幼きハンスを連れて、社会民主党[1]の集会に頻繁に顔を出していたことにもよる。青年団での活動のさなかに出会った、モザンビーク解放戦線書記長エドゥアルド・モンドラーネとの交流を通じて、彼はモザンビークへの渡航を決意した。娘の出産とそれに伴う退職ののち、出発の準備を整えたときに、彼は精巣癌にかかる。そちらの治療は上手くいったが、慢性肝炎が発覚し、渡航が危ぶまれる。

あと数年しか生きられないとすれば、残りの時間をやりたいことに費やすのが一番ではないだろうか? それともここに留まり、子どもたちとの時間を大切に過ごすべきだろうか?(p63)

彼は悩むが、結論はこうだった。

「行くのだ」(同前)

持ち前の情熱に根負けした知人の医師から、虚偽の健康報告を作成してもらい、モザンビークでの医療活動がはじまった。

 

 彼の診療所には、質・量の双方において、何もかもが不足していた。医療機器や清潔な設備、知識と体力と運に恵まれたスタッフにいたるまで。いずれもゼロではなかったが、不足しているのは事実だった。患者の数は常に診療所のキャパシティを超過していた。医師のハンスも、助産師のアグネータも、渡航までに実務経験を十分に積んだわけではなかった。

言語の壁、識字率の問題、患者の輸送を含めたロジスティクスの困難。治療の外にも困難が満ちた環境だった。ポルトガル語が通じない患者、眼鏡がなくて文字が読めないスタッフもいた。刻一刻と悪化する病態の患者がいても、市内の大病院への車は乗り合い式なので容易には出発ができない。医療にたどり着くまでの世界そのものに、課題が満ちていた。

 こうした状況に対して、ハンスは常に大きなストレスを感じていた。肉体的にも、精神的にも疲弊した。そのストレスの低減策と現実的な対応策として、彼は「地域全体の健康を改善する」という視点を持つようになる。すなわち、次々と訪れる目の前の患者に、場当たり的に最大限のサービスを提供するのをやめて、最も多くの命を救えるように、資源の配分を適正化したのだ。例えば、彼は患者のトリアージ(優先付け)を四分割で行った。症状による緊急性の高さで患者を分けた。あるときには、「スウェーデンの普通の病院ならば」、点滴を行う患者に対して、経口補水液の注入のみで済ませる処置を行ったところ、他の医師から目の前の救える命を軽んじた振る舞いだと激怒され、真っ向から対立することにもなった[2]。ハンスはこのころから、医者というよりも、公衆衛生学者としての視点に比重を置くように変わっていったようだ。

「地域レベルで医療サービス、医療設備、小さな時間を改善するのに、より多くの時間を投じれば、子供の死を減らせるかもしれないじゃないか」(p103)

 

 公衆衛生の必要性の理解には、医療サービスによる恩恵(すなわち治療の成功事例)が沢山コミュニティにもたらされることが欠かせない。しかし、地域レベルに必要なのは、治療だけでもない。彼は勤務していた診療所の立つ村を一度出て、ナカラの子供の死亡数を数え上げる調査をはじめた。その結果として、病院にたどり着く前に亡くなる子供が多いこと、都市部よりも多くの人々が住む山岳地帯において、死亡率はより高いことを発見した。

 

 カーヴァという街で急増する、原因不明の麻痺患者への対応の協力を求められたハンスは、自身のキャリアの変化を予期しながら、当地に向かった。ナカラでの任期を終えるまでに、彼は再び疫学的な調査を実施し、キャッサバが原因であることを突き止めた。この病気は、コンゴにおいて「コンゾ(同国の言語で「縛られた足」を意味する)」と呼ばれている病気だった。ハンスは帰国し、コンゾを主題とする博士論文の執筆にとりかかる。彼は毒を含み食用に適さないキャッサバが食卓に並ぶことが原因と考えた。すなわち、干ばつと計画経済の失敗(の帰結としての闇市の存在)による、食糧不足こそが真の要因だと指摘した。コンゴでの追調査を終えて、感染症由来説の否定にも成功したハンスは、社会と経済に対して、さらに深い関心を抱くようになっていった。キューバ政府から招聘されて、麻痺病の調査を行った時にも(なんと、あのフィデル・カストロ直々の命を受けて同国の調査をした!)、政府が暗黙的に運用していた闇市の調査局の存在を指摘し、計画経済の欠陥が要因だと結論付けた。

 このキューバでの調査と前後して、彼はグローバル・ヘルスの研究者兼講師というポジションにつくことになった。彼の示す事実への感情的な反発や学生たちの現実認識のズレを強く感じたことから、ハンスは学生の理解を深めるためのツールの開発を考えるようになった。そして、統計データをバブルチャートに落としこむ作業がはじまった。ちょうどそのとき、芸術を志していた二人の子供、アンナとオーラが、パソコンを用いてバブルチャートをアニメーションとして動かすアイデアを実装した。このグラフィカルな道具は「前例にない」という驚きと称賛の言葉をもって受け入れられた。新しいツールは、スウェーデン国内にとどまらず、TEDやダボスフォーラムなどを通じて、まさに「グローバルに」名声を得ることとなっていった。以後の活躍については、読者諸賢もご存知であろう。彼はモザンビークに再訪し、過大含みではあるが、着実にみられた医療サービスの進歩の具合に喜びを見出す。わずかに残る、当時の痕跡を見て、彼は懐かしさと充実感を抱いた。

 

所感など

 ファクトフルネスの魅力を生んだアフリカでの経験については、懐古的な表現も皆無ではないが、それよりもかなり苦しかった記憶が最後まで強かったことも随所から伺われる。それは先述したような負荷の高い生活に起因することであることは間違いないのだが、コロナに立ち向かう医師として再び奮闘するさなかに、アグネータが死産を経験したことも大きかっただろう。家族の幸福と、医師としての責務のバランスに、彼は特に注意を払い続けていた。

とはいえ、彼も完璧な人間ではない。というか、仕事人間すぎたのだ。趣味というものは特になさそうで、食事の時間を軽んじることもしばしばだったようだ。また、アグネータが学位を取得するために、自身が育休を取ると約束したにもかかわらず、上司との交渉が不調に終わるや否や、アグネータに育休を取れと言い放ち、家を追い出されかけている。

 これらの2冊について、どこまでが彼の意志と同意に基づいて記された内容なのかは、私は知りえない。しかし、『ファクトフルネス』でも少なからず示された、自身の無知や失敗への後悔、あるいは頑固さについての正直な告白を披露する姿勢は、彼の業績や知見よりも偉大に感じられた。その情熱と才能は真似できずとも、その誠実さを受け継ぐことは可能であろうし、私はそうすべきであろうと思う。

 

 

訳書について

原著は“How I learned to understand the world“というタイトルで、Rosling Education ABという会社から出版された……と奥付には記載されているんだが、この出版社の情報はウェブ上に存在しない。書評サイトのgoodreadsの書誌データをたどると、Natur & Kulturというストックホルムにある出版社から出ていた(ウェブサイトはこちら)。正式には ”Hur jag lärde mig förstå världen” というタイトルらしい。読めない……。

英語版は今年の5月28日にブラックウェル社からハードカバーが刊行予定。……となっているのだが、ukのAmazonには"Publisher: Sceptre (5 Nov. 2020)"とある。UKとアメリカでは別々の出版社が出すのかなぁ。独語訳版は去年の9月に出版済み

日本版の装丁は『ファクトフルネス』にだいぶ寄せたデザインを感じる。日経BP編集者の中川氏のnoteには、ファクトフルネスの装丁は赤と青の2案があったとあるので、そのあたりも意識しているのではないか。

f:id:chanma2n:20200213145218j:plain

 

 内容について言えば、この本の「はじめに」が出版社から公開されており[3]、翻訳のテイストについてはそこで判断できる。伝記の形式をとっていることと、『ファクトフルネス』もハンスの軽快な語り口に寄せて、ラフな文体となっていたことの2点を踏まえれば、妥当なスタイルだと思う。ただし、後半部に誤植が目立つことや、訳の不自然さが目に付く部分がちらほら見かけられるところなどもある。読書体験において文章の丁寧さを重視される方は、他の言語での版を待つか試すというのも一手なのかもしれない(英語版については、誰かが翻訳を手掛けるのか、著者が英語で改めて書き上げるのかは不明)。訳者の枇谷玲子氏はフリーランスや育児といったジャンルでハフィントンポストに記事を提供しており、見たところでは彼女の専門や関心はハンスのそれとは大きく異なると思う。ただ、大阪外大在学時にデンマーク教育大学の児童文学センターに留学していたようなので、北欧の文学を専門に研究して、以後もキャリアを積んでいるのだろう。そう考えると、本書の訳者にふさわしかったのかもしれない。

 

次回は、『ファクトフルネス』と『私はこうして世界を理解できるようになった』の2冊に寄せられた書評、ハンス自身への評伝などを取り上げつつ、ファクトフルネスへの総評を改めて述べたいと思う。

 

[1] 詳しくはこちら。https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A-1551061

[2] この点滴については、ハンスの所見では点滴よりも経口補水液がむしろ望ましいケースだったと主張している。

[3] https://allreviews.jp/review/3777