Like a notebook

イニシャルHの研究

アメリカにおけるシングルバーの勃興とその盛衰

トーマス・シェリングの『ミクロ動機とマクロ行動』を読んでいるのだが、シグナルの自己確証という概念の事例として、「シングルバー/singles bar」という単語が出てきてびっくりした。そんなのがアメリカにもあるのか。

www.keisoshobo.co.jp

日本でいうところの相席屋みたいなものを指すわけだが、海外にもそういう形態のお店があったんだ…しかも、結構昔から…ということにびっくりしたわけだ*1

日本語のwikiにも記事があるぐらいだし、「シングルバー」という言葉自体は、どこかしらの層には周知されているのかもしれない。ただ、向こうではどうなんだろう。というか、いつからあるの…?というわけで、それっぽい記事を探して読んでみた。

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punchdrink.com

(以下は全訳ではないし、本文の順番どおりでもない)

 

1960年ごろまでの米国における男女の出会いというのは、友人や家族の紹介(要するにお見合い)だとか、高校やカレッジの同級生だとか、あるいは教会(fellow churchgowers)や職場での出会いによるものだった。じゃあ、同じ町に住んでいる男女はどうやって出会うんだろう?…出会えないのだ。偶然でもない限り*2

1965年、NY在住の28歳の石油商、アラン・スティルマン(Alan Stillman)はスチュワーデス(に限らず若い女性一般)との出会える酒場がないことに不満を抱いていた。この街には独身のCAなんかも沢山いる。なのに、彼女たちはバーに来ない。出会えないじゃないか、と。

実は、1965年ごろには、アメリカ人の20%ほどが商業用飛行機を利用しており、それとともに、サンフランシスコやシカゴ、ニューヨークなどには数万人のスチュワーデスが滞在するようになっていた。そして何より、彼女たちはエアラインの規則もあって、30歳未満の未婚で健康な女性がほとんどを占めていたのであった。

彼のいたNYはマンハッタンの高級住宅街、アッパー・イースト・サイドなんかも、客室乗務員に人気があった。当時のNYタイムスの記事によると、同地区内の15階建て以上のビルの90%ほどが、彼女たちの住居となっていたという*3。でも、彼女たちはバーに来ない。

そこでアランは、行きつけだったボロい西部劇風の居酒屋に、「女の子ウケしそうな内装にして、メニューも変えてみようよ」と提案した。店主は気乗りしなかったので、彼はバーを1万ドルで買収してしまった(!)*4。そして、1965年3月15日、彼はThank God It's Friday!*5と冠した店を、NYの1番街にオープンさせた。ティファニー製のランプ、ステンドグラスなどの凝った内装に明るい色のサッカーユニを着た店員。メニューも若者ウケするバーガーとフレンチフライ、安いビールに、ハーヴェイ・ウォールハンガーやロングアイランド・アイス・ティーなどを用意した。

——私がオープン初日にドアを開けると、たちまち60人ほどが中に入ってきたんだ。あの店は、今まで誰も見たことがないタイプのバーだったよ。あそこはまさしく、若い人のためのバーだったんだから。客はみんな、「すげぇや。マジでここに来ればビール飲んで、色んな人と出会えるのかよ」って感じだったな。(アラン・スティルマン)

彼は自分の店を語るときに、「シングルバー」とはついぞ言わなかったのだが、これがシングルバーの起こりであった。その後、同地区ではヤンキースの選手(Phil Linz)やワーナーブロスの創業者の孫、元パン・アメリカンの広報部社員*6など、多様な人々が追随してシングルバーを開業した。

66年の夏には1番街のあまりの賑わいに、20時から24時まで警察が出動するようになったし、68年までには、アッパー・イースト・サイドに85軒ものバーが新たにできた。それらのほとんどがシングルバーだった。そして、スタンフォード大の研究によると、1970年代のアメリカのカップルの20%から25%ぐらいは、「バーで出会った」のが付き合ったきっかけだった。

スティルマンはその後も他の都市で、TGIFを出店していったし、色んな街に似たようなコンセプトのお店ができていった。そのなかでも、1968年に営業をはじめた、シカゴのマザーズ(Mother's)は古参といえるだろう。ライブミュージックとコンクリートの床が売りだったこのバーは、法改正後に許可された女性のバーテンダーの雇用をきわめてはやい時期に実施したことにも特徴があった。シカゴには1973年創業のハンギー・アッピー(Hangge Uppe)というシングルズバーが今も営業を続けており、当時の面影をしのぶことができる。

50年前に話を戻すと、西海岸では、もっと「ソフトな」内装のシングルズバーがにわかに注目を集めていた。NY北部の農家であったヘンリー・アフリカ(本名はノーマン・ジェイ・ホディー)は改装費用が捻出できず、その代わりに大量の安価な観葉植物を天井からつるした編み籠にのせたのだった。

ファーン・バー(Fern bar. 'fern'はシダのこと。wiki曰く、シダを含めた植物を内装に用いたプレッピーな飲み屋のことを指す俗語)は1970年代のシングルズバーの様式として大流行して、TGIFの様式を駆逐して、似たようなスタイルの店が全土で林立した。揚げ物や「女性向け」のカクテル(レモン・ドロップやピニャ・コラーダ、バハマ・ママ、マッド・スライド、そしてスプリッツァなど)といったメニューが、ラミネート加工してらせん綴じをしたメニューで提供されたのだ。このメニューの様式は、今でも多くのレストランチェーン店で採用されている。

しかし、80年代においてシングルバーは徐々に形骸化し、コカインなどのドラッグが蔓延し、退廃的な雰囲気をまとうようになる。AIDSの流行と社会的認知が広まった時期である1980年代前半には、売春宿やハッテン場みたいなものだと雑誌で評価されていたし、「ミスター・グッドバーを探して」(原題:Looking for Mr. Goodbar)という映画でも、ダイアン・キートン演じる女教師は怪しいシングルズバーで危険な出会いを体験し、最終的にはレイプされ、刺殺されたのだった。

88年の映画「カクテル」(原題:Cocktail)ではトム・クルーズ演じるブライアン・フラナガンの変化は、ニューヨークにおけるシングルズバーの変遷をうまく表現している。ダウンタウンの大がかりで派手な、表面的なつながりを生み出す都市型消費のスポットとなった。そこはもう「シングル」の景観はなく、大勢の人がくりだして、良い感じに見せる場所になっていった。

90年代にはとうとう、ごてごてした装飾と退廃的なイメージをまとった過去数十年の歴史を否定するようになってきた。70年代のドラマ(Three's company)であればバーが出てくるようなシーンでは、80年代(となりのサインフェルド/Seinfeld)、90年代(フレンズ/Friends)のドラマだと喫茶店が舞台となる。性的に奔放なキャラクターとして描かれていても、バーにいかないのはとても奇妙な演出に思えるが、ある程度は仕方のないことだ。

今もなお、マーリー・ヒルのバーには独身であろう若者は沢山集まっている。普通のバーに、シングルズは混ざりこんでいるといっても良いだろう。ただし、古参のシングルズバーの姿は現代の都市においては見当たらない。たとえあったとしても、その店舗形態はスポーツバーなどに既に変わっている。なぜ初期のシングルバーは勢いを保てなかったのだろう。ブランド戦略家のダイン・ダンストン(Dain Dunston)は郊外化がその一因だと指摘している。結婚して、住宅を持ち、子供を養う場所として郊外が選ばれたのだ。

16歳以上で独身の人は1.25億人いるとされ、これは総人口の約半数に達する。ニューヨークの21歳から35歳までの独身は150万人だ。35%のカップルがオンラインで出会う時代になった時代には、シングルバーと言われてもピンとこない人も多いだろう。しかし、いまだかつてない人数となった独身層にとっては、Tinderだけでは不十分かもしれない。

スティルマンは常々、シングルバーはいつか廃れると言ってきたが、その一方で、「シングルの人々がいる限りは、決してなくならないだろう。現に、これまでも消滅したことはなかったのだから」とも語っている。

 

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今回の記事の中心となっていたTGIF、実は日本にも店舗があるらしい。ワタミと提携して、関東を中心に14店舗もあるそうな。ただ、この年表を見ればわかるように、80年代後半から、徐々に家族と訪れるためのカジュアルレストランとしての方針転換を図っており、シングルバーとしての経営形態ではないし、日本でも同様にレストラン的な性格の店舗を展開しているようだ。

www.tgifridays.co.jp

ところで、文中でも少し触れられているが、女性は法的にバーテンダーになることが禁じられていた。今でこそアメリカのバーテンダーのうち、60%近くは女性だそうだが、そこにいたるまでには長い歴史があったそうな。くわしくはこちらの記事を。18世紀のピューリタン統治から今に至るまでの女性の権利開放運動の流れなど。禁酒法ザル法だったゆえに、この制度下ではかえって女性も自由にバーテンができたというのは興味深い。

www.thrillist.com

 

こちらは詳しく読んでいないのだが、禁酒法やカクテルのメニューに焦点を当てて、single's bar としてのTGIFがどのように成立してきたかを説明した記事もある。こっちの方がいい記事だったかもしれないが、ニューヨーカーは僕にはスラっと読むのは難しいところなので…まぁ。

www.newyorker.com

 

今回はこの辺で。

*1:訳本自体は2016年に出ているのだが、原著は1978年に出版されている

*2:'Catch Me If You Can' という映画では、あらかじめ用意したネックレスを路上に落とし、目当ての女性に「あなたの落としものではないですか?」と言い張って近寄る、という手法が用いられる。例えばこういうテクニックは、本当に用いられていたのかもしれない。

*3:400人ほどだったそうな。ちなみに、"Stew zoo"という俗語があって、この言葉はそのものずばり、複数のCAが借りているアパートの一室を指す。転じて、彼女らのような肉食系的なふるまいそのものを意味する言葉となったらしい(参考: Stew zoo - Idioms by The Free Dictionary)

*4:現在の8万ドル=日本円で約800万円に相当。計算はThe Inflation Calculatorによる。

*5:日本語でいう「花金」に相当する。 

*6:潜在顧客たるCAにDMを送り付ける手法をとったらしい