Like a notebook

イニシャルHの研究

庭園は儚い

週末は隣の隣町ぐらいのところにある、かなり大きな図書館で勉強をしている。ただ、自習だけで座席をとるのは規則上でも精神衛生上でもあまりよろしくないものなので、とりあえず座った座席の近くで一冊本を取る。飽きたらたまに読んでみて、また勉強をする。そういう具合でこのごろはやっている。

この前読んだ本はこんな本だった。

honto.jp

麗しきイスラーム庭園の写真がさぞてんこ盛りなのだろうと思いきや、景観復原の話がメインであって、やや驚いた。

 

個人的に関心を持ったのは、「庭園は儚い」というようなくだりだった。というのも、庭園は地理的には昔から今までそこにあったかもしれない。だけど、その庭園ができたころから今に至るまで、どんな草木が植えられていたのかはあんまりわからないらしい。9世紀の世界における花壇を彩った花弁の色と、現在の花壇を覆うそれらの色は全く異なるかもしれないし、草木の種類や規模そのものさえも、大きく異なる可能性がある。「あぁなんと耽美なお庭なんでしょう」と、イブン・バットゥータが感動した庭が万が一僕の世界に残っていたとしても、感動を呼び起こすRGBはだいぶ違うかもしれないですよ、というわけだ。その点、人工的な建築物ないし絵画というものは、そういうことが起こりにくいと考えられるものの、我儘な性分なもので、変わりゆく中で絶えず本質的な美をもって人々を引き付けている庭園の方が、むしろ素晴らしいのではないか。という気持ちもある。鑑賞者ないしは庭園それ自体が移ろいゆく中でも絶えず、美を感じさせる庭園があるのだとすれば、本質的な美しさ、みたいなものを備えているのかもしれない。そういう本質的な美なんてものはない、っていう考え方もあると思うけど、僕はある、と思っている。

 

あとは、都市における水道の整備というのはとにもかくにも重要で、いずこの王朝が首都を遷都したけど結局やめてしまったのは、河川工事の引き込みにお金をかけた割に上手く行かなかったことが原因だったようだ。今現在、僕も仕事ではビルの一角に給排水設備の取り付け有無だとかその可否だとかを毎日毎日問い合わせているけれども、既存設備がないところの費用の高額さたるや、というところだ。そもそも設計段階で給排水の良しあしをちゃんと考えないといけないのですよ、みたいなことは、おうちの設計を題材にしたこちらの漫画に詳しく書いてある。

www.xknowledge.co.jp

 

なるほどミクロからマクロに至るまで、水利というのは空間において重要な要素というわけだ、などと社会人らしく凡庸な締めとしてしまった。

サンキューぐらいは大声で。

言える人になりたいですよね、というだけの話です。

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世の人々は大なり小なり、人生における目標を用意して生きているのだと思う。そしてその多くの目標は、年度ないし年ごとの人生目標みたいなものをおったてるものであって、そこに向かって人々は(年始の数日くらいまでは)のろのろと歩を進めるのだと思う。

僕はもう少し雑然としていて、時間軸ごとの「これをしたい」があれこれある。例えば明日は図書館でちゃんと勉強するぞ、再来月からはTOEICの勉強を始めるぞ、査読結果が帰ってきたら、なんとか年内でアクセプトしてもらうぞ、とか。もっと広い時間軸だと、ドストエフスキー読んだことないから読みたいなとか、司馬遷史記も気になるなとか、生涯レベルでの積読破壊などもある。

さぞや綿密な人生計画をお過ごしなのですね、と感じる向きもあるのかもしれないが、僕は年単位の目標を何も覚えていない。それが由々しき事態だとかも、この20数年間の中では微塵たりとも感じてこなかった。ただ、来年はちょっとわけが違う。なにせ、この変な時期にそれを閃いたからだ。

 

話は先週の観劇にまで遡るのだが、終幕のあと、自転車置き場に立ち寄って風呂に行く道すがらに偶然、スタッフの控室の出口を発見した。急ぎの風呂でもなかったので、立ち止まってしばらく眺めていると、宮藤官九郎が現れたのだった。浪人の時に彼のラジオを聞き始めて以来、もう8年近いファンになる。そんな自分に取っての大スターが作った芝居で大層感動したわけだから、何か伝えたいものだと思ったのだけど、色々なんて言いだそうかと悩んでいるうちに、彼はタクシーに乗ってその場を去ってしまったのだった。

それなりに後悔したし、多少は落ち込んだ。その時に思いだしたのが、鋼の錬金術師の中で(3巻か4巻ぐらいかな)、兄弟げんかを諫めたウィンリィがヒューズと言葉を交わすシーンだった。

「しょうがねえよなぁ、男ってのは背中で語りたがるもんだから」

「でも、言葉にしないと伝わらないことも、ありますよね」

こういうやりとりだったと思う。文脈がだいぶ違うけれども、結局のところ言葉で伝えられないといけないことってあるのでは、ということをふと思い出させた。愛があるだけでは特に人生動かない。現に僕は、宮藤官九郎とその後に言葉を交わしたこともないし、大した感動も伝えられなかったと思うし。

そうかといって、明日からやります、というほど僕には大声で心の底から感謝したくなる人もいない。というわけで、来年の目標にしたいと思います。

・サンキューと好きです、ぐらいは大声で伝えられる人になりたいです(なります)。

 

「サマーフィルムにのって」を見た

「サマーフィルムにのって」をようやく見たんですけど、前評判に違わず良い作品でした。のめり込んで青春の眩しさを全身に浴びてもいいし、一歩引いて突拍子の無さと過去の名作の引用にニヤニヤしてもいい感じだなと。色んなテーマやオマージュっぽい流れがごちゃっと集まるザッピング的な今っぽさを絶妙なバランスでまとめあげる作風、いいですよねー。あと音楽のノリがちょっと予想外な感じ。音楽の剣持さんってどっかで名前見たことあるんだけど、どこかだか忘れた。ラストシーンは、時をかける少女を意識してるのかなと思わされたり。
 伊藤万里華って一回見たら忘れられない個性ある存在感と今っぽさを上手く兼ね備えてて、「偏った熱量」を目を逸らしたくなるほど真っ直ぐ表現できるのも素晴らしいなと思いました。この印象は、この作品よりも先に「お耳に合いましたら」を先に見ていたせいかもしれない。あとブルーハワイがとにかく可愛い。

 

 「映画が失われる未来」から来た人間に恋をする以上は、その未来ごと愛してあげななければ、自分の好きな人が生まれる世界線に辿り着けなくなってしまう。タイムパラドックスで。これはとてももどかしいことで、映画を撮るの/とるの?恋人をとるの?みたいな板挟みになる。そのへんで「今、この瞬間だけのための映画」の中で恋人を撮る、という結論になっていく。映画って言うのは映写機の時代から、「複製」して遠い場所や未来に向かって世界を共有するためのツールのはずなのに、そういう特性を自分から葬り去っているのだ。このフィルムは、この夏の後には二度と見られない作品になってしまう。サマーフィルム。青春の結晶が映画。デジタル世代のツールを使って(どこかアナクロな旅館や照明はともかく)撮られた映像なのに、複製不可能になってしまうのがとても儚い。だからこそ美しい。

 自分の今やることが無駄になるというか、遠い未来に自分の愛する世界はなくなっている。その未来に進むために、生きている私の意味って何なの?という悩みは、火の鳥だったかなにか星野之宣の漫画だったかに出てくる話を思い出させた(なんだったかな。20日そこらで死んでしまう人間が種としての生存のために世代交代を繰り返す中で、確実に死ぬと分かっている中間の世代たちが「僕たちが生きる意味ってどこにあるの?」みたいにかんがえるくだりがある漫画だったんだけども)。そこに対して、しばらく悩みこそすれ、わずか数日で「いや、今この瞬間の輝きを大事にしていこうよ。今が最高だから」みたいな割り切りができるところもすかっとしてるなぁ、と思う。別にロジカルでも崇高でもなくて割と平凡な結論だ、と言えるのかもしれないが、自分が同じ状況で決断するとしたら、そういう話にはならない。今だって常日頃、今じゃないどこかに思いを馳せて、あーだこーだとうじうじ悩んで、今の人生を疎かにしているのだし。何かが見えることが良いとは限らないし、見えないことで強くなれることもあると思う。それは知っている。この作品はそこのもうちょっとだけ先で、「つらい現実と未来を受け止めたうえで、それでも今の自分を肯定してやっていく」ところがとてもまぶしかった。

なんとなくこういう話は、昨日見た「愛が地球を救います(ただし屁が出ます)」とかでも感じたことだった気がする。未来を知っても、愛がなければ空しいだけだし、否定するのは簡単だし。難しくても未来がなんでも、自分の気持ちを肯定してやってく方がいいじゃんね、と。夏の終わりを告げる少し肌寒いそよ風を肌で浴びながら、こういうことを朝っぱらから考えていた。

「愛が世界を救います(ただし屁が出ます)」感想

 

stage.parco.jp

これの感想です。当日券がまだあるのかは不明。

 

前書き

コロナが広がる随分前から、僕たちの世界には録音された音楽が沢山あふれていた。それでも、ライブは当たり前のように日常に溶け込んでいた。非日常の空間で観客としての私たちが熱狂することには、経済的な意味であれ、創作者や表現者たちのモチベーションの維持という意味であれ、芸術を受け取る時空が多様化していった現代世界においても、確かに重要な意味を持っていた。だけど、感染症の広がりは、僕たちから生の音楽を奪い去ってしまった。そういうことは、岡田暁生の『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』に沢山書かれている。僕も当然、大多数の人々と同じように、ライブというものに行かなくなってしまった。だから、これが生の表現に再会できたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。「何年ぶり」とか、そういう枕詞が必要なくらいに。同じ楽しみを共有している人々が誰も触れ合わずに、それぞれ突っ立って開場を待つ、あの何とも不快な会場待ちの時間さえ、どこか懐かしく感じられたほどだった。

 

本題

作品としては、僕が宮藤官九郎の作品で好きなものが全部入っている。相変わらず設定は突飛なのに(SF、屁、LGBTQ、家族、パンク、愛などがキーワードになる)全てが一つの世界に収束していく筋書きに加えて、間に入る風刺や時事ネタ、何らかのオマージュ。これらの要素が、地上波の時よりもだいぶ突っ込んだものになっている。設定は無茶苦茶だが、二人の若者の青春ラブストーリー(+友情、家族愛)というシンプルな筋書きがしっかりある。そういう点は、田島列島の「子供はわかってあげない」に通じるところがあるかもな、と感じた。楽曲パート(もといダンス)は歌詞や脚本に笑いも沢山仕込まれるものの、音楽自体はしっかり聴かせるものだった。

 作品の小ネタとして過去のPARCOシリーズの設定が応用される点が所々にあり、往年のファンの心をくすぐるだろう。この点、もう少し抽象的に言えば、作品世界と僕たち観客が現実に生きている世界の視点を容易に行き来できるのは、舞台というリアルタイムな表現空間ならでは、なのかもしれない。これは、第2幕終盤での三宅弘城の役柄の兼ね合いで、特に笑いを引き寄せるスイッチとなっていた。

 宮藤官九郎荒川良々三宅弘城、伊勢志摩、少路勇介、よーかいくんなどはいつもの大人計画らしさを支える役どころと掛け合いが楽しい。無意味な側転や、肩透かしのようにメタな視点を持ち込むやり取りなど。村上虹郎、のん、YOUNG DAIS、藤井隆のパフォーマンスは音楽も芝居もよかった。大江千里のパロディの時の藤井隆は圧巻。個人的には、村上虹郎の歌唱もとにかく素晴らしくて、客席でも特によく言及されていたところだったと思う。YOUNG DAISは舞台パートと楽曲の両方で個性と魅力が強く感じられたし、今後も別の作品で出てほしいなと思う。宮藤官九郎作品は唐突なラップパートが入りがちなので、いくらでも出れるだろうし、実際に出てほしい。のんの役者としての、唯一無二な表現は、リアルな空間だとより鮮やかに感じられて、本当に良かった。見た目のかわいらしさだけじゃなくて、言葉や演技の中にどこまでもキュートな感じを織り込めるところが素敵だと思う。「私をくいとめて」とは全く違う雰囲気なのに、なぜか「そうそう、のんってこういう雰囲気だよね」と思わせる個性があって面白い。あと、ギターがかっこいい。

 音楽や声、身体の動きによる表現を同じ空間で浴びるとき、僕たちは当たり前のように五感を使って体感する。その当たり前は、こんなにも喜ばしいことだったのか、と痛感させられた。失われた当たり前の心地よさを、2時間強の会場の中でずっと味わい続けていた。劇中にはボーカロイドを用いる楽曲も存在するし、そこに伴うperfumeのようなサイケデリックな雰囲気のダンスは人間らしい動きを取り除くようなものではある。それでも、この音色を不特定多数と同じ空間で共有して、情感を持つ血の通った人間が無機質を表現する際に生まれる、表現と実態の隙間の温度を感じられたのは、リアルタイムの空間だったからだろうと思っている。体を揺らす喜び、手拍子を入れてリフレインを口ずさむ高揚感。

 過去を乗り越えて、どんな世界(あるいは未来)を作り出すのかということを模索するこの舞台は、誰も感染症のことを気に留める必要のない世界だった。そもそも、屁は嗅覚に関わる上に、距離がある人々には音さえも感じられない。そういう人間の当たり前すら今の僕の周りの世界から失われて久しい。誰かが以前言っていたと思うのだが、テレビドラマやアニメ、映画は今なお、マスクをつけていない世界で時間が進んでいく。今回の作品でもわずかにマスクを着用するシーンはあるが、それはあくまでごくごく一部での表現に過ぎない。そういう世界はもはや郷愁を呼び起こす過去であるともいえるし、「またいつかこんな日々を過ごしたいな」という未来への希望の断片でもある。幕が下りるまでの五感に浴びた未来の日常は、ライブの熱狂が僕たちの日常のそばに溶け合ったあの日々がまた、戻ってきてほしいものだなぁと改めて思い起こさせた。「生きていることが超能力」と言われるまでに過酷な世界でなくても、いいんだけれども。

 そして、今そこにない(今の世界では到底実現しえない)色々を、芝居であっても今実現するのは、大変なことが多かっただろうと思う。僕は今、この瞬間にこの作品を感じられてよかった。制作と上演に関わったすべての人が本当にすごいと思う。そういう人たちのおかげで、未来は現実になるし、芸術の喜びの継承が未来に向かって続いていくのだろう。そのためには、結局のところ、鑑賞者である一人一人の愛が求められるののだと思う。私たちの愛が芸術世界を救うのだろう。放屁もするし普通にすぎない存在一人一人の愛こそが。

「バックコーラスの歌姫たち」所感

「バックコーラスの歌姫たち」を京都みなみ会館で見た。2013年に公開された当時から足掛け8年近くの積み残し(積劇とでも言えばいいのか?)の映画作品を、今さらになって解消できるとは思わなかった。長く生きていれば、いいこともあるということかもしれない。2013年当時、僕は自宅で浪人をしていた。ほとんど毎日の朝から晩まで、FM765とFM802を行ったり来たりして、朝の8時から夕刻の18時ごろまでの自習に励んでいた。その時に765の朝の番組を担当してたヒロ寺平が、この作品をとにかく絶賛していたのだった。他にも色々な作品を取り上げていたと思うので、この作品の寸評だけが自分の心に残ったということになる。

 

 表題と原題("20 feet from Stardom")から想像していたのは、ステージのセンターに立つことを夢見る若きバックコーラスの歌手たちの青春群像劇(栄光と挫折)のような作品だった。しかしながら、この作品はそこまで単純ではなかった。何より、ステージの最前線、真ん中に立つスターとなることは最大/第一の欲求とは限らないのだ。それは、かつてソロの歌手への道に挑戦し、夢破れたからこその「気持ちの折り合い」の場合もあるし、自己を抑制して美しいハーモニーを作り出すという作業そのものへの喜びが大きい場合もある。バックコーラスの女性たちは、自身の仕事(と歌声)に強い愛着と誇りを持っている。バックコーラスとして、スティービー・ワンダーローリングストーンズ、スティングなどの名だたる歌手に選ばれ、絶賛される彼女たちの歌唱力は、並外れた才能である。「歌うことは当たり前だと思っていた。だけど、この(天から授かった)才能は幅広く、いろんな人のために使わなければならない」というようなくだりにみられるように、本当に彼女たちは天賦の才能を持っている。その一方で、この作品の主題でもある、「歌手としての才能と、スターとしての才能は異なる」という現実がある。人々の注目を浴び続けられること(これは注目を集めるというだけでなく、そのプレッシャーに耐え続けられることも意味する)、自身の表現したいことを突き詰められること、そのために自分の人生を投げ捨てられること、運が己の味方をすること。これらもまた、スターにとっては容易に満たされる条件であったかもしれないが、スターではなかった(あるいは、今の段階ではそうではない)バックコーラスの人々たちには、容易に満たされる条件ではないのだ。それは、努力や仕事への真摯な姿勢だけでは決して得られない。実力ではない「何か」だ。その「何か」こそが、無慈悲にもスタートそれ以外の人々の約6mの距離を生み出しており、その差は時間と努力だけでは埋まらないのだ。さらに、もっと悲しいことに、岡田暁生がいうところの「録楽」の時代である現代においては、コーラスは多重録音で成り立つために、コーラスを起用して楽曲を作成するケースは減少しているのだ。スターはいつの時代にも必要とされてるのに、スターを引き立てる要素は、時代によって容易に変わり得るのだろう。

(ちなみに、僕は二つの点で留意することがあると思っている。まず、ミック・ジャガーが「たまにならいいけど、仕事でずっとUh~とかAh~とか言ってるだけは嫌だな」と語るくだりがあるように、バックコーラスにも才能はそれなりに必要だということ。そして、ワンダーが「心地よい、だけを追い求めるところから、少し抜け出ないといけないだろうね」と語っている点だ。スターになるにはそれなりの覚悟と意識が必要であって、それは天性によって得られるとは限らないのではないか)

 

 さて、これらの要素は確かにこの作品の核心となる部分ではあったのだが、この作品にはもっと多くの要素がちりばめられている。幅広い社会的文脈の要素に焦点が当たり、むしろそのあたりが重要かつ非常に興味深い作品だったと言える。例えば、牧師の娘としてゴスペルに慣れ親しんだバックボーンというものが、彼女たちには共通していた。また、白人女性から黒人女性へのバックコーラスの主流の変遷には、ウーマンリブという時代の潮流に応じた自己表現の可能性が垣間見えた。その一方で、性的な魅力を強調する服装(ないし役割)を求められることもあったし、プロデューサーやレコード会社との契約に振り回される場面もみられる。「白人のコーラスと異なり私たちは楽譜が読めない」ということを語るシーンがあって、本当に身一つで成り上がった人々にとっては、ネゴの面で不利なことも多かったのだろうと思う。あと、これは個人的に興味深いと感じたのだが、この作品における「スター」というのは、ひとりで芸術作品の創造に突き抜ける人、というよりも、作品完成のための色んな要素のマネジメントを丁寧にできる人、という印象が強かった。プロジェクトリーダーというか。ハワード・ベッカーの『アートワールド』が可視化されたような感じがして、その点で興味深かった。

 

 上映後の対談で、ピーター・バラカンがスターを取り上げた作品として、"Billie(Billie Holidayの作品)"とか"Amazing Grace Aretha Franklin "などに言及していたので、このあたりも鑑賞すれば、また色々と得られるものが多いのだろうと思う。ちなみにバラカンは、本作品で取りあげられた歌手たちのソロ活動の作品を見た感想として、一様に厳しい評価を下していた。「スターになれるかどうか」の境界線は非常に曖昧である一方で、スターであるか否かは、直感的かつ鮮明に表れてしまうのかもしれない。

別に僕がスターになりたいというわけではないのだが、グラデーションと程度の差こそあれ、世の中には少なからずこうした役割分担(スター/非スター)が沢山あって、そういう分担こそが世の中の序列を生み出しつつ、それなりに世界を機能させているんだろうな、などと思った。僕なんかは、アカデミアの世界をすぐに思い出すわけですが。

ポール・オースター『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』を読みながら

3月に読んだのはデジタル罠、ロシア絵本(1930s)、音楽の危機、椿井文書、セイバー罠、経済政策で人は死ぬか、日本の地方議会、日本の地方政府、ファンソ(東声会)、川喜田壮太郎の旅行記あたり。この辺もメモ書きを拾ってこないといけない。図書館が再開したら、許永中というかイトマン事件の書籍を色々読みたいと思っているけど、いつになるやら。実務本の方が先かな。

 

 さて、この前、久しぶりに本屋に寄って、さぁ何にしよう、柴田元幸のSF翻訳の新刊とフルーツサンドと女優の回のuomoと田島列島の新作でも買おうかな、と思って店内をうろついたのだけど、ことごとくなかった。まぁ地域の本屋って感じのこぢんまりとしたお店だったし仕方がないのだけど、どうも諦めきれずに本棚を見て回っていたら、ポール・オースターの本が色々あったので4冊ほど買ってきた。

そのうちの1冊(正確には前後なので2冊)が表題の『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』。オースターがラジオ番組で募集した、「リスナーの人生の一節の物語」をまとめた本で、いろんな地域や年代の人々の、人生におけるちょっとした奇跡や半生をつづった投稿を、「愛」、「死」、「家族」などのカテゴリーごとに掲載している。まだ全部読んだわけではないのだけど、短いものなら1ページ程度、長くても数ページに過ぎない物語のアンソロジーなので、どこから読んでも、どの程度読んでも、感想はそこまで変わらないと思う。

 この本で紹介される物語の多くには、オチがない。ストーリーラインの構成として、「オチのようなもの」がある話は確かにある。だけど、映画タイタニックみたいな、終わりました!というような雰囲気はない。人生は続いていくし、人生は続いてきたのだと感じさせる。それぞれの物語の余白はあまりにも大きく、それは余韻というよりも、結末の不在というニュアンスが強い。

 オースターは序文において「文学ではない」ということを述べている。それが上記のような点を指していたのかはわからないが(もっと文学的な技量の問題かもしれない)、僕にもそのような点は同意できる。物語はそれなりの舞台を整えたうえで、ある程度納得できるような幕引きが存在する。それが創作なのだと僕は思っている。語られるエピソードは、それが不幸であれ幸運であれ、物語にふさわしい奇跡や偶然、急展開、波乱を含むものが多い。それでも、それが事実らしいというか、現実の人生の一部を切り取ったということだけで、ここまで小説とはかけ離れた世界になるのか、ということが興味深いということだ。

 市井の人にも、小説のような奇跡は沢山起きている。だから、読者である自分自身もまた奇跡に満ちたような自分の人生が、そこまで孤独な(稀少な)人生でもないのだな、と気付きくことができる。人生の相対化は、幸福の含み益を目減りさせることもあるけれど、不幸の含み損を減らす働きもある。

 また、曖昧に始まって、曖昧に終わっていく物語たちの中にこそきらりと光る事実らしさは、それはそれとしての魅力がある。大阪に生まれ育った僕は、オチがない話に出会うと、それだけですぐつまらないと言って切り捨てる感性を持っていたのかもしれない。あるいは、大阪人だから、と規定される中で、そういう役割や感性を訓練して手に入れてしまった気もする。だけど今は、そうではなくて、どこかに続いていく物語の切れ端を愛することができるようになっているらしい。ページを繰りながら、自分の感性の現在地を発見した。そのことも心のどこかで楽しめている。

 こういう感性の変化というのは本当に、この本に集めた物語よりも起伏に乏しい物語にしかならないし、きっとこんなところ以外のどこにも披露されることはない。僕だけの物語なんだけど、だからこそ、僕にとってはとても大事なことだったりする。

 

タイトル未定(進路について聞かれたときのあれこれver2020)

 今月中にこういう話を内向けの文書で書く必要があるのと、最近になってこういう話を年下にする機会があったのでここに書いておく。だいぶ前にも一度書いたこともあるけど、当時の記事のリンクを失った。

 

・・・

 大学院に入る前も就職活動はしていた。そのときにはグループワークとか社員訪問とか合同説明会とかに何度か足を運んだわけだが、当時の僕はそのなかで4つ感じたことがあった。

1.学生における企業の人気というのは概ね、マスメディアを通じて消費者に名を知られているかどうかで決まる。本質はどうでもいいらしい。

2.働くに際しては何かしらの付加価値を生み出すことが求められているが、その前提となる考え方や知識というのは働きながら身につくものと、そうではないものの二種類がある。

3.「合わない」会社というのは確かに存在する。それは入り口の段階で既にわかるケースがある。

4.景気が良い状況なら、選びさえしなければ仕事だけならある。金銭や相性とのトレードオフにさえ折り合いをつければ、両方を失っての就職をする必要はないかもしれない。

 

 当時の僕は研究職に関心があったことに加えて、働くにしても2.でいう働く前に身に着けるような知識や感性に少し乏しいと思っていた。そういうわけで、大学院に進むことにした。大学院では計量的な技法を身に着けることと、英語をある程度使えるようにすること、専門的な視野を身に着けることを目標にした。

 「学生のうちにしたいこと」としての海外渡航と「社会科学でも特に応用に近い分野の学習を深めたい」ということを満たすために、縁あってスイスにある異分野交流型国際保健の大学院に留学した。

 

 色々な事情から研究職でやっていくことは断念せざるを得ない状況になった。「様々なハンディキャップを乗り越えてでも、アカデミアに残りたい」という気持ちがなくなっていたことが一番の理由だと思う。

 もう一度就職活動をするにあたっては、若さという最大のアドバンテージを有した学部卒との比較をされることになるので、以下の2点を自身の売り出しポイントとして、応募する企業に応じてこれらの押し出しを変えていくことにした。

1.海外経験:留学の甲斐あって、ある程度は英語が喋れるようになっていた。フランス語も多少は話せる、という感じだった。実際に1年インド人とカメルーン人とアメリカ人と国籍不詳の男性と共同生活を送ったので、異国で/の人とやっていけるという点については説得力があると思った。

2.リサーチ能力:自分の研究のこともあるが、以前のエントリで書いたように孤児著作物の著作者の生没年発見とかもやっていたとので、これもそこそこ説得力があるだろうと思った。

(本当はもう1点あって、柱を3本設定していた気がするのだが忘れた)

 

そういうわけで、業種は以下にしぼられた。

・リサーチ能力とあちこちにいった経験が活きそうな報道関係。多くのOBOGが就職していたのでイメージもつかみやすかった。

・同上のコンサル。パワポに凝るのも結構好きだったし、コンサルの資料を学部のころからたまに読む機会があったことが影響していたと思う。

・研究分野での知識が活きそうな不動産関係。元々好きだった分野だった。

・ノンフィクション、特にアカデミックな著作物を取り扱う出版社の編集。大学院生優遇の会社もしばしばあった。

 

閉め切りやエントリーが早い順で列挙したので、実際に対策をはじめたのも報道からだった。あくまでこれは僕の志望した会社のばあいであって、例えば、出版関係も早いところはあるが、就職活動の中で最速、というほどでもなかったし、僕が関心を持っていた会社は特に遅かった。

 

最終的には、不動産のコンサルティングや管理、仲介を行う外資系の会社に入社することに決まったのだが、今にして思えば、1と2の僕の売り出しポイントが両方必要な会社だったようだ。

 ただし、僕がこの会社の採用試験を受けるに至ったのは、そういった戦略的(ないし打算的)な方向からではなくて、純然たる運によるものだった。たまたま、普段からよく見るメディアが不動産関係の企業の特集を組んでいたことがあって、それでたまたま会社の名前を知った。その会社がたまたま新卒採用のイベントを関西で今年からはじめて、たまたま関連会社の保有物件の名前を僕が知っていて、たまたま「この年までは景気が良かった」。僕の経歴や準備は選考プロセスのどこかでは確かに役立ったと思うが、それだけでうまくいくほど世の中は精緻にできていない。偶然がいくつも重なっていた。同業他社の競合の会社と僕はかなり相性が悪かったので、本当に一つ歯車が狂っただけで、僕の人生はもっと違うものになっていたと思う。

 もっと言えば、僕は就職活動という仕組み自体と相性が悪い(才能がないしそこで努力もあまりできない)気質だったので、内定先には「拾ってもらった」と言った方が正しいかもしれない。財閥系の企業(の社員)には何度も冷たくあしらわれたし、それ以外でも学生が常に受け身とされて、「育てる甲斐のある人間か」を審査されるようなプロセスに一定の居心地の悪さを感じていた。ストップウォッチで時間を測定されたり、質問が一切許されない面接もあったりした。総合職という実際には何の意味もないような肩書にも戸惑いを感じていた。今自分ができることから想像のつく労働のイマジネーションが全く結びつかないのだ。自分の人柄やスキルセットから考えて、Aという業務を志望するとは言えるけど、同じ前提から「Xという会社を志望します」という結論をどうしても導き出せなかった。普通はそういうことに違和感を抱かないのだろうし、それどころか、総合職へのモチベーションというのをうまく文書で作成できるのだろうし、僕はそういう意味では、社会適性のない人間なのだろう。

 

itoyosuke.hatenadiary.org

 

このitoyosukeという人が書いた記事と、その前提となっているyo4ma3という方の記事は読む価値があると思う。僕は後者の方の記事のような戦略をはじめはとったが、結果としてそうした才能はなかったし、そういう準備とパフォーマンスが求められる会社には全く相性が合わなかった(というか実力が及ばなかった)。結果としては、前者の記事の正しさを身をもって理解した。