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イニシャルHの研究

「サマーフィルムにのって」を見た

「サマーフィルムにのって」をようやく見たんですけど、前評判に違わず良い作品でした。のめり込んで青春の眩しさを全身に浴びてもいいし、一歩引いて突拍子の無さと過去の名作の引用にニヤニヤしてもいい感じだなと。色んなテーマやオマージュっぽい流れがごちゃっと集まるザッピング的な今っぽさを絶妙なバランスでまとめあげる作風、いいですよねー。あと音楽のノリがちょっと予想外な感じ。音楽の剣持さんってどっかで名前見たことあるんだけど、どこかだか忘れた。ラストシーンは、時をかける少女を意識してるのかなと思わされたり。
 伊藤万里華って一回見たら忘れられない個性ある存在感と今っぽさを上手く兼ね備えてて、「偏った熱量」を目を逸らしたくなるほど真っ直ぐ表現できるのも素晴らしいなと思いました。この印象は、この作品よりも先に「お耳に合いましたら」を先に見ていたせいかもしれない。あとブルーハワイがとにかく可愛い。

 

 「映画が失われる未来」から来た人間に恋をする以上は、その未来ごと愛してあげななければ、自分の好きな人が生まれる世界線に辿り着けなくなってしまう。タイムパラドックスで。これはとてももどかしいことで、映画を撮るの/とるの?恋人をとるの?みたいな板挟みになる。そのへんで「今、この瞬間だけのための映画」の中で恋人を撮る、という結論になっていく。映画って言うのは映写機の時代から、「複製」して遠い場所や未来に向かって世界を共有するためのツールのはずなのに、そういう特性を自分から葬り去っているのだ。このフィルムは、この夏の後には二度と見られない作品になってしまう。サマーフィルム。青春の結晶が映画。デジタル世代のツールを使って(どこかアナクロな旅館や照明はともかく)撮られた映像なのに、複製不可能になってしまうのがとても儚い。だからこそ美しい。

 自分の今やることが無駄になるというか、遠い未来に自分の愛する世界はなくなっている。その未来に進むために、生きている私の意味って何なの?という悩みは、火の鳥だったかなにか星野之宣の漫画だったかに出てくる話を思い出させた(なんだったかな。20日そこらで死んでしまう人間が種としての生存のために世代交代を繰り返す中で、確実に死ぬと分かっている中間の世代たちが「僕たちが生きる意味ってどこにあるの?」みたいにかんがえるくだりがある漫画だったんだけども)。そこに対して、しばらく悩みこそすれ、わずか数日で「いや、今この瞬間の輝きを大事にしていこうよ。今が最高だから」みたいな割り切りができるところもすかっとしてるなぁ、と思う。別にロジカルでも崇高でもなくて割と平凡な結論だ、と言えるのかもしれないが、自分が同じ状況で決断するとしたら、そういう話にはならない。今だって常日頃、今じゃないどこかに思いを馳せて、あーだこーだとうじうじ悩んで、今の人生を疎かにしているのだし。何かが見えることが良いとは限らないし、見えないことで強くなれることもあると思う。それは知っている。この作品はそこのもうちょっとだけ先で、「つらい現実と未来を受け止めたうえで、それでも今の自分を肯定してやっていく」ところがとてもまぶしかった。

なんとなくこういう話は、昨日見た「愛が地球を救います(ただし屁が出ます)」とかでも感じたことだった気がする。未来を知っても、愛がなければ空しいだけだし、否定するのは簡単だし。難しくても未来がなんでも、自分の気持ちを肯定してやってく方がいいじゃんね、と。夏の終わりを告げる少し肌寒いそよ風を肌で浴びながら、こういうことを朝っぱらから考えていた。