Like a notebook

イニシャルHの研究

サンキューぐらいは大声で。

言える人になりたいですよね、というだけの話です。

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世の人々は大なり小なり、人生における目標を用意して生きているのだと思う。そしてその多くの目標は、年度ないし年ごとの人生目標みたいなものをおったてるものであって、そこに向かって人々は(年始の数日くらいまでは)のろのろと歩を進めるのだと思う。

僕はもう少し雑然としていて、時間軸ごとの「これをしたい」があれこれある。例えば明日は図書館でちゃんと勉強するぞ、再来月からはTOEICの勉強を始めるぞ、査読結果が帰ってきたら、なんとか年内でアクセプトしてもらうぞ、とか。もっと広い時間軸だと、ドストエフスキー読んだことないから読みたいなとか、司馬遷史記も気になるなとか、生涯レベルでの積読破壊などもある。

さぞや綿密な人生計画をお過ごしなのですね、と感じる向きもあるのかもしれないが、僕は年単位の目標を何も覚えていない。それが由々しき事態だとかも、この20数年間の中では微塵たりとも感じてこなかった。ただ、来年はちょっとわけが違う。なにせ、この変な時期にそれを閃いたからだ。

 

話は先週の観劇にまで遡るのだが、終幕のあと、自転車置き場に立ち寄って風呂に行く道すがらに偶然、スタッフの控室の出口を発見した。急ぎの風呂でもなかったので、立ち止まってしばらく眺めていると、宮藤官九郎が現れたのだった。浪人の時に彼のラジオを聞き始めて以来、もう8年近いファンになる。そんな自分に取っての大スターが作った芝居で大層感動したわけだから、何か伝えたいものだと思ったのだけど、色々なんて言いだそうかと悩んでいるうちに、彼はタクシーに乗ってその場を去ってしまったのだった。

それなりに後悔したし、多少は落ち込んだ。その時に思いだしたのが、鋼の錬金術師の中で(3巻か4巻ぐらいかな)、兄弟げんかを諫めたウィンリィがヒューズと言葉を交わすシーンだった。

「しょうがねえよなぁ、男ってのは背中で語りたがるもんだから」

「でも、言葉にしないと伝わらないことも、ありますよね」

こういうやりとりだったと思う。文脈がだいぶ違うけれども、結局のところ言葉で伝えられないといけないことってあるのでは、ということをふと思い出させた。愛があるだけでは特に人生動かない。現に僕は、宮藤官九郎とその後に言葉を交わしたこともないし、大した感動も伝えられなかったと思うし。

そうかといって、明日からやります、というほど僕には大声で心の底から感謝したくなる人もいない。というわけで、来年の目標にしたいと思います。

・サンキューと好きです、ぐらいは大声で伝えられる人になりたいです(なります)。