Like a notebook

イニシャルHの研究

消えた実家と、どこにもない実家

母親から、荷物――小包と呼ぶにはあまりに大きすぎるし、贈り物と呼ぶには素朴すぎる外観の――段ボール箱が4つ届いた。内容物は全て「書籍」と記されていた。ガムテープの端を爪先で持ち上げて、腕を目いっぱい伸ばして荷解きを始める。そういうことを都合四回行った。

 中に入っていたのは、僕がかつて実家においていた、卒業アルバムや集めていた漫画、そういったものだった。僕はこれを見て、懐かしいという感情よりも先に、「あぁ、本当に僕にとっての「実家」はもうどこにもなくなったのだな」という思いが先に現れた。

 実家とは何を指すのだろうか。僕はその定義を理解していない。ただ、自身が5歳の時点で既に大阪の市街地から郊外に両親は居を移したため、幼き日々のルーツの町は分断されてしまっている。それからも、両親の別離があり、まもなく僕は父方の家に住んでいたものの、また少ししてすぐに、僕は母方の家への移住を余儀なくされた。そして、大学生になったときに、その家もまた(観念的にであれ物理的にであれ)追い出されたのだった。僕の住む場所は絶えず不安定であったし、家族という概念も、紐帯も常にぼんやりしたものであった。だから、世間一般の人々が語るような「帰省してごろごろした」とか、「実家でゆっくりした」とかについては、今まで一度も経験ができたこともない。それはそれとして仕方のないことだ。僕の血族はみな、「家族として生きる」ことが苦手だった。別離が、「ただの親戚」のような距離感が、私たちには最適な遠さに過ぎなかった。それだけのことだ。

 それでも僕は、気まずいながらも実家に(諸般の事情で)戻るたびに、家に忍ばせていたよつばと鋼の錬金術師を眺めるたびに、「その場所で生きた日々」の記憶と再会することを唯一の喜びとしていた。僕のこれまでの人生で唯一、僕と両想いになった女性と交わした沢山の手紙や、二人で沢山撮った写真をしまい込んだ紙箱も、今僕の目の前にある。都会の真ん中の、孤独なワンルームに届いてしまった。あの場所で作り出され、閉じ込められてきた、僕の青春への扉は閉ざされてしまった。

 なぜ今、このタイミングだったのかはわからない。母が、この年になって唐突に、僕の姿形を思い出す何かを家に置くことが不快になったのかもしれない。もっとも、その思いがかねてからのものだったのかもしれないし(いつからかはわからないが、下手をすれば僕と母が同居していた時から、既に僕の存在にストレスは抱えていたのかもしれない)、ゴミと一緒に捨てないでいたことには、感謝するしかないのだが。とはいえ、たとえその真意がどこにあったとしても、思い出のキーボックスとしての役割を母の家はもう失ってしまった。僕はその役割について、母の家を「実家」と捉えていた。それがない今はもう、そこはただの血縁者が住む家に過ぎないのかもしれない。僕のための場所はもうそこにはないのだから。

 早く適当な男でも見繕って、どこかで幸せにやっていてほしい。僕は母の家を出た時からそう思っている。もっと早くに、その願いをかなえられるように、僕は独り立ちするべきだったのかもしれない。そうすれば母は、幸せに生きられたのかもしれないし、生を授かったものとしての、過度な責任感を抱える必要もなかったと思う。その世界線には、もしかしたら、僕が「よくある実家」を手に入れる可能性もあったのかもしれない。いずれにせよ、僕の選択、母の選択、それを後押ししたお互いの様々な変化や環境が、僕の心の中の「実家」を確実に解体させてしまった。それだけの話だ。

 とりとめもない話ですが。