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イニシャルHの研究

国際女性デーだった/です。——避妊・花嫁誘拐


要約:女性の健康や権利という課題には、経済や教育と同じくらい、文化という要素が大きくかかわっている。文化というのは素晴らしいものだけど本当に厄介でもある。

 

3月8日は国際女性デーだった。というか、こちらはまだ日付が変わっていないので当日だ。どれくらい日本で話題になったのかは知らないが、朝日新聞は張り切って色々ウェブで特集してたようだし、良くも悪くも昨今Twitterで話題のフェミニストと絡むネタであるからには、多少は目にした方もいるだろう。

こちらはというと、所属先とその性比の性質上、やはり僕の周囲にもシンポジウムへの参加を促す人なんかは多少いたりした。というわけで、珍しくこんな趣向の話をする。

最近僕は晩御飯を食べるときに、VICEとかの動画をよく見ている。結構いいドキュメンタリーが多いと思う。というわけで、良かった動画で関係する話ができそうなものをちらほら紹介しようと思う。

 

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まずはフィリピンの話。

 

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フィリピンでは避妊に関する知識やリソースへの供給が不十分で、10代前半(11歳とか)で妊娠・出産を経験する女性も少なくない。これは、妊娠中絶が政策として認められていないからでもある。そういうわけで、彼女たちは望まぬ子を産んでしまうか、かなりリスクの高い手法(トングや鉄の棒を体内に突っ込む、腹部への打撃を加えるなど)で妊娠の失敗を試みる*1。こうした状況の打開策として、家族計画(25歳で結婚して、子供は2人で…とかそういうの)や避妊に関する知識を教える運動がはじまっている。というもの*2

 

インタビューの中で、ある女性が避妊具を利用しなかった理由として、「副作用があると言われて敬遠した」と語っている場面がある。また、テロップでも「避妊具の使用は道徳とか夫婦の関係からするとよくない」という考えがあることも指摘されている。

 

前者については、たぶんピルなどの服用する避妊薬のことを指しているのだろう。医療技術、薬品に対する信頼というのは、私たちが普段思っているよりも文化依存的な課題だ。日本でも最近話題の、ワクチン不信Vaccine Hesitancyとか、ワクチン拒否Vaccine refusal について考えてもらえば、わかりやすいと思う。

後者の道徳(映像ではimmoralityって言ってたっけ?)とか夫婦仲というのもまた、かなり文化的価値観に依存していることがわかるだろう。こういう理由はフィリピンに限らないもので、例えばアフリカのマラウィでも取り上げられている(Chimbiri 2006 , Anglewickz and Clark 2013)。この国ではHIVが問題となっていて、避妊がHIV感染を減らすためにも有効かつ重要な手段となっているのだけど、「たとえHIVに感染しているとわかっていても」避妊は行わないという語りが報告されている(Gombachika and Fjeld 2014)。マラウィでは世代によって性道徳の変化が起きていて、若い世代のコホートでは、結婚前に他の人と性交を経験済みである割合が高くなっている。また、external marriage(婚外交渉)もそれなりにあるらしい。ただし、これらの相対的に「非公式な」関係においては、避妊を行うことや避妊の話題をパートナー間で持ち出すことには抵抗が少ないようだ(参考文献は後で足しときます)。

 

こういうことからわかるのは、健康(先の動画でいえばmaternal health とchild healthと、あとneonatal healthも射程となる)を提供するための決定要因というのには、だいぶ文化的な壁というのが大きくかかわっているということだ。そういうわけで、近年ではtransdisciplinaryだとかinterdisciplinary(この違いについてはそのうち)をお題目として掲げて研究している人もいるみたいなのですが…。

 

 

皆さんもご存じだとは思うが、この「文化」というのは本当に素晴らしくも厄介な代物だと思う。

 

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キルギス*3では男が結婚したい女性を見つけると、その女性を誘拐する。そして、その女性を自分の家でかくまって、結婚を実家のみんなに祝ってもらい、結婚への同意を取り付けたら、嫁の家に結納金(羊とか)を送る。男も女も「伝統だから」と言って受け入れてるし、普通だと思っている。警察もあまり気にしていない。という話。

 

僕なんかは前半部を見ているときにはずっと、「なんてひどい話だ!」と思っていた。当地の研究者も「誘拐結婚の夫婦は離婚率が高いし、女の方の自殺率も高い。」と指摘していたし、やっぱりひどい気がする。

と、思って見ていたのだが…彼ら(「彼女ら」ももちろん含む)の結婚式の一部始終を見ているうちに、よくわからなくなってきた。女性たちが本気でこの世界を変えたいと思っているわけでもない気がする。そして、彼女たちを縛り付ける根拠である歴史の長さ(実は大して長くないけど)とか、それに裏打ちされた文化を彼らは否定しているわけでも、打破したいわけでもなさそうだ。普通にみんな祝い事だからって民族衣着てるし…。

VICEの取材対象がラッキーな人だけだったのかもしれない。女性が権利に目覚めていないだけ、なのかもしれない。でも、先ほどの研究者が言うには、この風習は社会主義体制下で若者(つか学生たち)が、親の反対を押し切って自由な恋愛を成立させるために、「誘拐という体を取る→床入りで既成事実を作成→むりやり承認させる」というプロセスが皮肉な展開を見せた結果らしい。

僕たちはどうすればいいんだろう?「まるで江戸しぐさじゃねえか!こんなの嘘の文化だ!破壊しろ!」と言って彼らの誘拐を、西洋的に国際的な圧力*4で禁じる方向に持ち込めばいいのだろうか。ただ、改めて言うと、この風習は特に社会主義体制下後半に増加したものだ。どっちかというと近代化の副産物だ。世代が変わればいいの?何が変わればいいの?っていうか、そもそも彼らは変わる(変える)べきなのかな?僕はあまりわからない。

 

僕が自殺率の高さとか離婚によるmental helathの悪化への懸念という要素だけに着目すれば、たぶん堂々とやめろといえたのだろう。だけど、親との交流なくして夫婦だけで子供を育てて生きていくのは、先進国の日本ですらかなり大変だということも僕は知っている。まして、彼らの社会で次々と若いカップルばかりがコミュニティから切り離されていけばどうなるのだろうか。

 

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思ってたよりだいぶ道を逸れたところに来てしまった。あと2つ紹介したいビデオがあったけど、それはまたいつか。

 

 

 

 

 

*1:厳しすぎる規制がうまく機能せずに、闇市場なり違法行為を生み出して、それを管理できなくなって、余計ひどい状況に追い込んでいるというケースというのは、これ以外にも沢山あるはずで、今の僕はそういう事例を色々集めようとしている…。

*2:ヤバい経済学』で、筆者らは「妊娠中絶が選択肢として現れたことが、アメリカの犯罪率の低下をもたらしたのではないか」という仮説を提唱する。もちろんこれにはツッコミもあるわけなんだが、こういうのを見たり聞いたりするたびに、言わんとすることはわからんでもないと思うことはやっぱりある。今更ではあるが、『ミズーラ』とかの過去の読書記録を引っ張り出したり、abortionに関する話に絞ってもよかったかもしれないな…

*3:実は以前通っていた仏語のスクールで、同じクラスにキルギス人の女性がいたのよね。それがこのビデオを見たきっかけだったり。

*4:最近この辺の話をあれこれ勉強しているけど、結構面白いのでそれもまたいつか…