誰が「映画の98%は音楽」と述べたのか。

Ⅰ.序文

「未解決」。たとえそれが事件でなかったとしても、おそらく童心を持った人間であればだれだって、この言葉には心をときめかせるものだろう。そういう気持ちを自己投影して、人類は名探偵コナンなりその他の素人探偵ものを見ているのだろう。そうじゃない?違いますかそうですか。僕はそう思っている。というわけで、僕もコナンになるために調べたのであった。

 

Ⅱ.手法と結果

1.ネットの格言まとめ

日本語圏での検索は限りが尽くされているはずなので、ここは英語圏からアプローチするのが確実だと考えた。それでも手掛かりがないならフランス語なりに進めばいい。

英語で名言とかはquote という単語らしいので、 "music quote movie"などでGoogleの検索をかけると、アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Joseph Hitchcock)の言葉として、特に一行目から二行目にかけての文章が、頻繁に引用されたりまとめられたりされているのがわかった。

  • A film is -- or should be -- more like music than like fiction. It should be a progression of moods or feelings. The theme, what's behind the emotion, the meaning, all that comes later. After you've walked out of the theatre, maybe the next day or a week later, maybe without ever actually realizing it, you somehow get what the filmmaker has been trying to tell you.

    (拙訳:映画というものは—そうあるべきだと思うのだが—散文よりも音楽に近い。映画には様々な感情やムードの継起があるはずだ。主題や意味といった、感情の背後にあるものは全て、後から生まれるものだ。映画館を出たら、翌日や一週間後、あるいは今に至るまで全く自覚していないかもしれないが、観衆は自然と、映画監督が伝えようとしたかったことを理解しているものだ。

     (例えばこんな感じ。https://m.imdb.com/name/nm0000040/quotes , Accessed May 16, 2019) 

 

ただし、大体において格言まとめサイトというのは引用を正確に行ったり、出典を調べたりなんてことはしていない。このままでは未解決事例を一つ増やすだけなので、もう少し確実性のある典拠を出しておきたい。

どうやって調べたかは忘れたが、一行目だけにしたり、二行目も含めたり、サーチワードを色々と組み替えて検索を繰り返すうちに、以下の書籍で該当する箇所を見つけた。

2.書籍

The Cinematic Theater - Babak A. Ebrahimian - Google ブックス

Storytelling in World Cinemas - Google Books

前者の "The Cinematic Theater" のChapter 3, Sequencing in time, p91に確かに引用がある…のだが、referencesのページはgoogle booksで対応していないので確認できなかった。

しかし、後者の"Storytelling in World Cinemas"は出典付きで確認することができた。p84 (conclusion)内で引用されており、対応個所の出典は以下の書籍だと確認できた。*1

Cinema of Stanley Kubrick: Third Edition: Norman Kagan: Continuum

ヒッチコックの評伝らしいが、Google books に該当する書籍はなさそうだった。どうせなら最後までやってみたい。

3.オンラインのアーカイブ

こういうことは声高にいうものでもないが、学問の教科書とかだと「書名+pdf」とかのワードで検索をかけると落ちていることがたまにある。ロスマンの疫学とか。とりあえず同じ手法をとってみたら、pdfは出てこなかったが、以下のサイトにたどり着いた。

archive.org

ウェブページや書籍をオンラインでアーカイヴしている団体で、登録すれば無料で読めるらしい。メールアドレスとパスワード、それとユーザーネームを送信してverificationを済ませれば会員登録は完了する。該当ページは231だと本文に記載されていたので、確認したら…あった!

He has stated that "A film is -- or should be -- more like music than like fiction. It should be a progression of moods or feelings. The theme, what's behind the emotion, the meaning, all that comes later. After you've walked out of the theatre, maybe the next day or a week later, maybe without ever actually realizing it, you somehow get what the filmmaker has been trying to tell you." ^5

(p231 一段落目の中ごろ)

これも引用しているらしい。文献リストから該当する書物を探す。

5. Lyon, Peter. " The Astonishing Stanley Kubrick." Holiday, February, 1964. 

お察しの通り、これを入力して検索にかける。

4.ArchivioKubrick

これぞ、というのはもうほとんど該当しない。この段階においてようやく(今更)、キューブリックのアーカイヴのサイトにたどり着いた。

Archivio Kubrick: Words - Stanley Kubrick's Interviews

おお、これか…と思ったのだが、この記事のアーカイヴは存在しないらしい。仕方ないので、その一つ下の記事をあたることにした。同じ年の同じ月に出したインタビュー記事なので類似する発言があるかもしれない。インタビューしたのは1962年の7月。当時のヒッチコックは30代前半にして「突撃」など優れた作品を立て続けに制作して、既にその地位を不動のものとしていた…という序文から始まるインタビューに関連しそうな箇所は…無事にありました。

 

 I understand you made the film entirely by yourself - did you also finance it?
Well, it didn't cost much - I think the camera was ten bucks a day - and film, developed and printed, is ten cents a foot. The most expensive thing was the music... the whole film cost 3900 dollars, and I think about 2900 of it was for the music, having it sync'd in.

(以下拙訳:

ーあなたは映画を全て独力で作り上げたとうかがいましたが、資金の調達もご自分でなさったのですか?

ヒッチコック:えぇ。それほど高額でもなかったですが。——カメラは一日当たり10ドルですし——フィルムの現像と印刷は1フィートあたり10セントです。一番高かったのは音楽ですね…映画のコストは総額3900ドルで、そのうちのだいたい2900ドルを作中で用いる音楽に使ったと思います。

 

2900/3900 *100 =  74.35%なので98%には及ばないが、だいぶ前進したと思う。

3.その他の映画監督

一応、ロバート・ゼメキスジョージ・ルーカスリドリー・スコットも調べた。ルーカス以外は該当する発言が見つからなかった。ルーカスは「サウンドが映画鑑賞における経験の半分を占める」と言っていたようだ。こちらに関しては割と容易にNew York Timesのインタビュー記事?が見つかったので、こちらを参考にしていただければ十分かなと。

Mr. Lucas considers sound as essential to full cinematic effect as image. "Sound is half the experience in seeing a film," he says. "That's why I have been bothered by the poor sound reproduction in many theaters and most homes."

出典:

HOME ENTERTAINMENT; In the Action With 'Star Wars' Sound - The New York Times

4.結論

98%という発言は見つからなかった。ただ、SF三部作などの作品がある著名な海外の映画監督であり、映画における音楽の役割を非常に重んじていたキューブリックでよいのではないだろうか。インタビューによってはもしかしたら「映画のうち映像の占める割合なんて、2%ぐらいのものだよ。あとは音楽が全てだ」ぐらいは言っていてもおかしくないと思う。

5.感想

お家で時間があるときにヒッチコックの作品を見てみようと思いました。見たことないんですよね。

 

 ※当記事におけるウェブサイトの最終閲覧は全て2019年5月16日です。

 

 

 

*1:ちなみに本文に記載されている通りにKagman, 1983だかで調べると全然関係ない学者の論文が出てきてしまい、あやうく精読するところだった

犯罪リスクを地図上で可視化するアプリ(1)

なんかTwitterで流れてきて面白そうだったし練習になると思って訳してみたんですけど、思ったより長い記事なので途中で挫折してしまった。続きをやるのかはわからない。リンク先は英語。

 

www.vox.com

 

恐怖心が生み出すソーシャルメディア: Nextdoor・CitizenAmazon's Neighbors

——犯罪行為は珍しいものになってきているのに、犯罪に関するコミュニティの数が増えているのはなぜだろうか。

 

ここ数十年で比較すると、現在のアメリカの犯罪率は最も低い水準にあるのだが、犯罪に関するソーシャルメディアのアプリがますます人気を集めている。App storeGoogle Playでは、Nextdoor・CitizenAmazon Ring Neighbor's という犯罪に関するアプリが、ソーシャル・ニュースのカテゴリーに含まれるアプリの中でも特にダウンロード数が多いようだ。これら3つのアプリでは、近所で起こる犯罪をリアルタイムで確認することができ、近所の利用者同士で意見を交わすことができる。

Nextdoorは「世界最大のご近所づきあい用のSNS」を自称しており、レストランのおすすめを教えてもらったり、中古の家具を購入したり、自転車の窃盗被害を報告したりすることができる。ただ、実際のところ「犯罪・治安」のカテゴリはステレオタイプ人種観の温床となり、アプリと規約の改善が企業に求められたのであった。

 

Citizenは近所で起きた犯罪行為をユーザーたちの連携で阻止するという趣旨の「Vigilante」(訳注:自警団の意。現在は提供されていない。)というアプリを前身としており、ユーザーのいる場所の近くから発信された警察への通報データが送られてくる。

 

そして、今度はAmazonがRingというアプリでこの業界に参入してきた。これはRing video doorbell(訳注:下部に張り付けた製品のプロモ動画も参照)というインターホンと、それに付随するNeighborsというSNSアプリで構成されている。Neighborsはユーザーに「不確かなソース」を基に地域の犯罪に関するニュースを提供しており、Amazon Ring がアマゾンからの荷物を盗む人と、ポーチにいる「怪しい」褐色系の人の動画が多数アップされている。「近所の人はアプリ以上の存在です。近隣はあなたのコミュニティにおける力であり、一緒になってあなたに安全を提供し、安全を知らせてくれるものなのです。」と、豪語している。

 

モバイルデータとデータ分析の企業であるApp Annieによると、4月末の時点でNextdoorは米国のiPhone用のライフスタイル関連のアプリの中でダウンロード数9位に位置付けている。1年前にはSNSのカテゴリーの中で27番目だったというのに(NextdoorはアプリのカテゴリーをSNSから生活関連に4月30日付で変更しており、pp Annieによると29日付のSNS部門ランキングでは14位だった)。Amazon Ring's NeighborsはSNS部門でダウンロード数36位を獲得している。昨年にリリースした段階では115位だった。Citizenはニュース関連のアプリとして登録されており、4月末のiOSからのダウンロード数ランクはニュース関連アプリの中で7位であった。昨年(2018年)は9位、2017年には29位だった。

 

 

--

これ以降はアメリカの犯罪率のグラフと、恐怖心が生み出した監視の強化がさらに恐怖心を高める負の連鎖に陥っているのでは、という分析が続くらしい。思ってたより長い記事だったので、やるにしてもかいつまんでまとめるだけになると思う。サンスティーンの『恐怖の法則』的な立場をとっているのではと予想する。

www.kinokuniya.co.jp

 

 

Ring はインターホンが鳴ったらビデオがスマートフォンに動画を送って、来訪者と音声会話ができるらしい。動画を録画できる。で、その動画をウェブにあげるための場所としてNeighborsがあるという。155$なので2万円あればおつりが出るくらいか。

www.youtube.com

 

f:id:chanma2n:20190508064814j:plain

Neighborsに投稿された「ポーチの不審者」画像の例(via: https://www.wlrn.org/post/city-miami-partners-neighborhood-watch-app-solve-crimes-faster, Accessed 2019/05/08)

 

 

VigilanteとCitizenに関してはこちらの記事などを参照されたし。

www.nikkei.com

 

AmazonのNeighbors Ringに関しては、1年前にリリースされていたらしい。

thebridge.jp

 

 

いかかでしょうか。僕も野次馬したくなったので、アプリを入れて彼らの治安を確認してみようと思います。

…というのは冗談なのだが、アプリのDL数は必ずしもユーザーの数には連動しないので、実際にそんなにたくさんの人がやってるのかはわからない。健康を促進するアプリを開発してDLしてもらったはいいものの、実際に使った人はほんの一握りだし全然みんな継続して使ってくれない…というお悩みなんかも結構あるし…。あのPokemonGoですらDLしてちゃんとやった人ってどれくらいなんだろう、実際に今もプレーしてる人ってどれくらいのボリュームなんだろう。

ということを考えると、これも短命に終わっていくし、そもそもごく一部のユーザーが熱心なだけで大したことないのでは、と実は思っている。

まぁまたいずれ。

 

 

追記:抗生物質が製薬企業にとってあまり金にならないし魅力のない市場になってきたらしい、と噂で聞いたのだが、ちょうどいいタイミングで関係ありそうな記事を見つけた。積読にするという備忘録。

 The True Dollar Cost of the Anti-Vaccine Movement | WIRED

 

Ray Dalio のPrinciples for success

要約:彼が語る成功の要件の一つである「他者の視点」というのはタダで手に入るものでもない。どうやって得るのかというのは全く触れられていない。彼が人たらしの天才なのか、いまだにすごく傲慢なのかどっちかじゃないのだろうか。

ーーー

 

Ray Dalio のPrinciplesという自己啓発本が、いつぞやにツイッターで激賞されているのを見て*1、とりあえず電子書籍を手に入れたのだった。

以前にEconomic Princplesの動画*2は見たことがあったので、たぶん今回も動画があるだろうと思って調べてみたところ、案の定あったので一通り見ておいた。別に大それた小説でもあるまいし、話の大筋を掴んでからさっさと読み終えた方がいいと思ったので。

www.youtube.com

 

話の筋は別に複雑でもないしそこら中で耳にする程度のことで、「明確なビジョンに向かって失敗しても諦めずに立ち向かいましょう。リスクをとらないと成功はできません。一個人の合理性とか見える世界は限界がありますから、自惚れたりせずに他人の意見に耳を傾けましょう。そうすれば成功できます。」ということが言われている。

世の中の多くの人間がこのことを理解していても実際にはできない、或いはきちんとやっている人でさえも、なんかその辺には満足しにくいのだろうと思う。だからこそ、こんなことを言ってるだけで金儲けできる人がいつまでもあちこちにいるんだろう。

凡人が言うか、実際に成功した人間が言うかの違いが金を生むとも言える。ただ、その一方で、使い古された説教でもちゃんとしたデザインと、時流に乗った方法でのコンテンツの(味見を含めた)提供方法、それとしかるべき人柱(成功者)を使えばお金儲けができるということ自体が、一つの生きた具体例なのかなぁとも思わされた。

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…というのは本当の感想ではない。一番強く抱いた印象は「なんか、けっこう自己中だなぁ」というものだった。

 

この動画は終始茶色のジャケットを着た男性に寄りそう視点で描かれているが、山を登るのにも立ち上がるにも、「いかにも全部自力でやりました」みたいな感じで描かれている。いやいやそんなわけがないでしょう。

例えば、経済の予想に失敗して会社から従業員がいなくなった時に、父親から6000ドル借りましたとかさらっと流してるけど、あの場面で手を差し伸べた人間がいたことは結構大きなことだと思うんですけどね。家族の支援は所与のものとして仮定する機械仕掛けの世界なんでしょうか。

 

似たようなことなのですが、「成功のために、他者の視点を僕は大事にしています」って、それじゃああんたは他人に対していったい何を与えているのですか?みたいなことを考えちゃうんですよ。

他人の視点や存在そのものが自分自身の成功に不可欠というのは否定しませんけど、彼らがみな奴隷というわけでもあるまいし、周りの他の人がその視点とやらを提供するには対価を与えるのが普通なのじゃないかと。でもそういうことは全然ここには出てこない。

もちろん、「あなたの壮大な理想についていきたい、あなたに貢献することが私の目標です。」と語る優秀で忠実な他人もいるのかもしれません。大河ドラマでよくいる名将みたいな。でも、それだってタダ働きじゃない。何より、全員がそうというわけでもない。

個々人に夢や目標があるというのであれば、彼らにも当然それぞれの登るべき山があるだろうし、その登山のためにはやはり私と同じように、他人を必要としているはずなのですが。

また、動画の中では、ある程度の視点の価値の差を認めているので、たぶんそれなりに優秀で金のかかる人材が必要になるでしょう。なぜならば、自分の目指す山が大きくなればなるほど、提供される視点の価値も大きくなければ意味がないからです。

ということは、他人の見ている山の方がもっと価値があるのかもしれないんです。だって、自分と同じレベルの指摘ができる人ならば、同じくらい、あるいはそれ以上に優れいているだろうし、強固なビジョンを持っているかもしれないわけです。そのときに、どうやって、何をして自分自身を納得させるんでしょう。

 

こういう他者の存在への想像の欠落が、今の彼は他人の健康を目標にしているけど、それを実現するための言葉を今は何ら持ち合わせていない…という最後の部分につながっているんじゃないかなとも思うわけです。

彼は自分がのし上がるために猛進できるマシーンであって、そういう考えが欠損しているのかもしれない。あるいは、その反対に、無意識レベルで他人への奉仕ができる人間であるからこそ、そんなことを意識したことがないのかもしれない。

ーー 

 

というわけで、僕は彼の意志の固さとか、彼が語る成功の秘訣とかいうものよりもずっと、「無意識レベルの他人への貢献」もしくは「他人を傅(かしず)かせるのは当然という傲慢さ」が本当の成功のカギなのではないかと思っています。それか、先ほどの父親の支援のくだりや、「普通の中流家庭に生まれました」という序盤の一言に見られるような、「初期値のラッキー」が結構デカいのではないかな、と。

 

まぁ、僕みたいなしょぼい人間が何かを言ったって、特になんの意味もないわけですが。もしかしたら、こういう感想こそが彼の嫌悪している、退屈な平凡とその常識が生み出す、唾棄すべきくだらないものなんでしょうかね。気が向いたら本文も読んでみますが、とりあえず僕は来世に期待したいと思います。さようなら。

*1:マーケティング界隈だったのか、それとも投資界隈だったかは忘れた。

*2:経済の仕組みを需要供給曲線じゃなくて信用創造の方に焦点を当てて解説した動画だったと思う

Vaccine Hesitancy のwikipedia日本語版記事の紹介と、訳語に関する私見

要約:「Vaccine hesitancy /ワクチン忌避」という現象を説明したページがwikiにできて、反ワクチンを考えるための素材が増えた。でも、ワクチン「忌避」という訳語で定着させるべきなのかは疑問だ。少なくとも用語の定義について、先行研究を参照するべきでは。

 

日本版Wikipediaには長らく、Vaccine Hesitancyに関する記事がなかったのですが、昨日確認したところ、かなり立派なページが完成していました。

ja.wikipedia.org

 

参考文献の質と量をご覧にならずとも全体の雰囲気からある程度わかると思いますが、このページの質は、一般的なWikipediaの記事と比較しても、結構レベルが高いと思います。僕の知っている限りでは、2月の初旬には訳語すら誰も登録していなかったのに、誰がこんな分量と質のページを作り上げたのか…と思って、編集履歴を確認したんですが、主に理系のページの翻訳をなさっている方が、英語版のVaccine Hesitancy の記事を和訳したようです。翻訳の質もいいですし、すごいなぁと。参考に英語版のページもあげておきます。

en.wikipedia.org

 

ところで、僕はこの言葉をワクチン「忌避」と訳してよいのか自信がありません。実は、つい最近まではそうやって読んでいたんですけど、「忌避」という言葉の射程が本来のvaccine hesitancyの意味しているところを正確に映し出しているのか自信がなくなってきたからです。

僕がこの分野に関心を持ったきっかけは、年明けにこの分野の第一人者である——WHOの Vaccine hesitancy の部署のメンバーだった——医療人類学者のEve Dubéの講演を受けたからなのですが、彼女のニュアンスでは、Vaccine Hesitancyは「ワクチンを拒否はしないが、ワクチンに対して何かしらネガティブな感情、あるいは不安感を抱いている」状態を指していたと思うのです。

(追記)不安になったので文献当たりました。Vaccine誌によるvaccine hesitancyという言葉の射程について述べた部分を引用いたします。

Hesitancy is thus set on a continuum between those that accept all vaccines with no doubts, to complete refusal with no doubts, with vaccine hesitant individuals the heterogeneous group between these two extremes(...)

(MacDonald 2015: p4162)

 

拙訳)したがって、Hesitancyというのはワクチンを何の疑念もなく受け入れられる人たちと、確信をもって完全に拒否する人々の間に存在する連続体とみなされる。ワクチンに対するhesitancyを抱く個々人は、これらの両極端な視点の間に立って、そのいずれとも異なる集団を形成している。

 

意訳すると、ワクチン信頼オールオッケー派とワクチン拒絶絶対ダメ派がこの世の中にいるけど、それ以外の人はVacccine hesitancyなんですよ、ということでしょうか。「不安だけど…まぁいっか」から、「かなり不安だから基本ヤダ。」までみんなそう。

 

 

もっとも、この論文でも冒頭に、「この現象を定義するための単語の選定」に苦心した過程が記されており、同様に単語そのものが持つ射程と、現象そのもののズレに関しては認めています。

次に、忌避という言葉についての定義を、『大辞林 第3版』のものを一例として引用します(参照:忌避(きひ)とは - コトバンク )

きひ【忌避】

 
( 名 ) スル
 きらってさけること。 「徴兵を-する」
 訴訟において当事者が、不公正な職務執行を行う恐れのある裁判官・裁判所書記官を職務の執行から除外するよう申し立てること。 → 除斥じよせき

詳しくは参照元の、コトバンクの他の辞書の定義をご覧いただきたいのですが、基本的に「忌避」という言葉は「避けること、排除すること」という拒絶のニュアンスが中心となっているように思われます。"Vaccine refusal "という別の単語が既にあるのですが、忌避という言葉は、むしろこちらの意味に近い印象があります(Dubé, Vivion, and MacDonald 2015)。

 仮に、refusal を拒否と訳したとすると、「忌避(きひ)」と「拒否(きょひ)」ではやや音が似すぎていて、情報伝達の際に誤解が起きやすいのではないかという懸念もあります。

 

以下はあくまで僕の私見ですが、別案を提示しておきます。「猜疑(相手のポジティブな言動に裏があるのではないか、と勘繰ること)」、「嫌疑(犯行を疑うこと)」などはワクチンへの人々の感情を上手く表せる気がします。ただし、日常的な会話で頻繁に使うわない言葉ですので、どこまで受け入れらるかはわかりません。その点を重視するのであれば、既に人口に膾炙した単語である「不信」の方が明快でよいかもしれません。こちらもネガティブなニュアンスが強い言葉ですが、行動としての排除や拒否が含まれないことが良いかなと思います。 

僕は専門家と名乗れるほどのものでもありませんし、この懸念がどこまで妥当性を持つかはわからないです。ただ、いずれにせよwikiの両ページにはdefinitionに関する参考文献が提示されていないのですが、これはあまり好ましい状況ではないと思います。僕もoverviewなどをもう少し確認してから、追加しておこうかなぁと思っています。

 

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今後は系統的レビューなどを参照して、僕なりのVaccine Hesitancyのまとめを書くことと、日本でのワクチン騒動に関する医学関係者と反ワクチン派の両者の動きを改めてとらえることを目標にしています。*1

5月末にWHOの総会(World Health Assembly)があるんですが、そちらでもワクチンに関してのセッションがありますので、この話題は昨年以上に注目を集めるでしょうし、やりがいはあるかなと思います。*2

日本での研究はまだ乏しい分野ですし、とりあえず日本語圏の意志あるものが道を開きやすい環境づくりだけでもしておきたいなぁと思う次第です。

 

とりあえずこのあたりで。この記事は何かあったら頑張って再編集したりします。

 

 

参考文献

Dubé, Eve, Maryline Vivion, and Noni E. MacDonald. 2015. “Vaccine Hesitancy, Vaccine Refusal and the Anti-Vaccine Movement: Influence, Impact and Implications.” Expert Review of Vaccines 14 (1) (January): 99–117. doi:10.1586/14760584.2015.964212.

MacDonald, Noni E. 2015. “Vaccine Hesitancy: Definition, Scope and Determinants.” Vaccine 33 (34) (August): 4161–4164. doi:10.1016/j.vaccine.2015.04.036.

 

*1:Zoteroに30本くらい入っていて、大体10本くらいは読みました

*2:GAVIというかビル&メリンダゲイツ財団のことを愚痴ろうとするフラグだが、こういうのはやっぱりwin10の動作に異常をきたしたりするのだろうか

国際女性デーだった/です。——避妊・花嫁誘拐


要約:女性の健康や権利という課題には、経済や教育と同じくらい、文化という要素が大きくかかわっている。文化というのは素晴らしいものだけど本当に厄介でもある。

 

3月8日は国際女性デーだった。というか、こちらはまだ日付が変わっていないので当日だ。どれくらい日本で話題になったのかは知らないが、朝日新聞は張り切って色々ウェブで特集してたようだし、良くも悪くも昨今Twitterで話題のフェミニストと絡むネタであるからには、多少は目にした方もいるだろう。

こちらはというと、所属先とその性比の性質上、やはり僕の周囲にもシンポジウムへの参加を促す人なんかは多少いたりした。というわけで、珍しくこんな趣向の話をする。

最近僕は晩御飯を食べるときに、VICEとかの動画をよく見ている。結構いいドキュメンタリーが多いと思う。というわけで、良かった動画で関係する話ができそうなものをちらほら紹介しようと思う。

 

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まずはフィリピンの話。

 

www.youtube.com

 

フィリピンでは避妊に関する知識やリソースへの供給が不十分で、10代前半(11歳とか)で妊娠・出産を経験する女性も少なくない。これは、妊娠中絶が政策として認められていないからでもある。そういうわけで、彼女たちは望まぬ子を産んでしまうか、かなりリスクの高い手法(トングや鉄の棒を体内に突っ込む、腹部への打撃を加えるなど)で妊娠の失敗を試みる*1。こうした状況の打開策として、家族計画(25歳で結婚して、子供は2人で…とかそういうの)や避妊に関する知識を教える運動がはじまっている。というもの*2

 

インタビューの中で、ある女性が避妊具を利用しなかった理由として、「副作用があると言われて敬遠した」と語っている場面がある。また、テロップでも「避妊具の使用は道徳とか夫婦の関係からするとよくない」という考えがあることも指摘されている。

 

前者については、たぶんピルなどの服用する避妊薬のことを指しているのだろう。医療技術、薬品に対する信頼というのは、私たちが普段思っているよりも文化依存的な課題だ。日本でも最近話題の、ワクチン不信Vaccine Hesitancyとか、ワクチン拒否Vaccine refusal について考えてもらえば、わかりやすいと思う。

後者の道徳(映像ではimmoralityって言ってたっけ?)とか夫婦仲というのもまた、かなり文化的価値観に依存していることがわかるだろう。こういう理由はフィリピンに限らないもので、例えばアフリカのマラウィでも取り上げられている(Chimbiri 2006 , Anglewickz and Clark 2013)。この国ではHIVが問題となっていて、避妊がHIV感染を減らすためにも有効かつ重要な手段となっているのだけど、「たとえHIVに感染しているとわかっていても」避妊は行わないという語りが報告されている(Gombachika and Fjeld 2014)。マラウィでは世代によって性道徳の変化が起きていて、若い世代のコホートでは、結婚前に他の人と性交を経験済みである割合が高くなっている。また、external marriage(婚外交渉)もそれなりにあるらしい。ただし、これらの相対的に「非公式な」関係においては、避妊を行うことや避妊の話題をパートナー間で持ち出すことには抵抗が少ないようだ(参考文献は後で足しときます)。

 

こういうことからわかるのは、健康(先の動画でいえばmaternal health とchild healthと、あとneonatal healthも射程となる)を提供するための決定要因というのには、だいぶ文化的な壁というのが大きくかかわっているということだ。そういうわけで、近年ではtransdisciplinaryだとかinterdisciplinary(この違いについてはそのうち)をお題目として掲げて研究している人もいるみたいなのですが…。

 

 

皆さんもご存じだとは思うが、この「文化」というのは本当に素晴らしくも厄介な代物だと思う。

 

www.youtube.com

 

キルギス*3では男が結婚したい女性を見つけると、その女性を誘拐する。そして、その女性を自分の家でかくまって、結婚を実家のみんなに祝ってもらい、結婚への同意を取り付けたら、嫁の家に結納金(羊とか)を送る。男も女も「伝統だから」と言って受け入れてるし、普通だと思っている。警察もあまり気にしていない。という話。

 

僕なんかは前半部を見ているときにはずっと、「なんてひどい話だ!」と思っていた。当地の研究者も「誘拐結婚の夫婦は離婚率が高いし、女の方の自殺率も高い。」と指摘していたし、やっぱりひどい気がする。

と、思って見ていたのだが…彼ら(「彼女ら」ももちろん含む)の結婚式の一部始終を見ているうちに、よくわからなくなってきた。女性たちが本気でこの世界を変えたいと思っているわけでもない気がする。そして、彼女たちを縛り付ける根拠である歴史の長さ(実は大して長くないけど)とか、それに裏打ちされた文化を彼らは否定しているわけでも、打破したいわけでもなさそうだ。普通にみんな祝い事だからって民族衣着てるし…。

VICEの取材対象がラッキーな人だけだったのかもしれない。女性が権利に目覚めていないだけ、なのかもしれない。でも、先ほどの研究者が言うには、この風習は社会主義体制下で若者(つか学生たち)が、親の反対を押し切って自由な恋愛を成立させるために、「誘拐という体を取る→床入りで既成事実を作成→むりやり承認させる」というプロセスが皮肉な展開を見せた結果らしい。

僕たちはどうすればいいんだろう?「まるで江戸しぐさじゃねえか!こんなの嘘の文化だ!破壊しろ!」と言って彼らの誘拐を、西洋的に国際的な圧力*4で禁じる方向に持ち込めばいいのだろうか。ただ、改めて言うと、この風習は特に社会主義体制下後半に増加したものだ。どっちかというと近代化の副産物だ。世代が変わればいいの?何が変わればいいの?っていうか、そもそも彼らは変わる(変える)べきなのかな?僕はあまりわからない。

 

僕が自殺率の高さとか離婚によるmental helathの悪化への懸念という要素だけに着目すれば、たぶん堂々とやめろといえたのだろう。だけど、親との交流なくして夫婦だけで子供を育てて生きていくのは、先進国の日本ですらかなり大変だということも僕は知っている。まして、彼らの社会で次々と若いカップルばかりがコミュニティから切り離されていけばどうなるのだろうか。

 

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思ってたよりだいぶ道を逸れたところに来てしまった。あと2つ紹介したいビデオがあったけど、それはまたいつか。

 

 

 

 

 

*1:厳しすぎる規制がうまく機能せずに、闇市場なり違法行為を生み出して、それを管理できなくなって、余計ひどい状況に追い込んでいるというケースというのは、これ以外にも沢山あるはずで、今の僕はそういう事例を色々集めようとしている…。

*2:ヤバい経済学』で、筆者らは「妊娠中絶が選択肢として現れたことが、アメリカの犯罪率の低下をもたらしたのではないか」という仮説を提唱する。もちろんこれにはツッコミもあるわけなんだが、こういうのを見たり聞いたりするたびに、言わんとすることはわからんでもないと思うことはやっぱりある。今更ではあるが、『ミズーラ』とかの過去の読書記録を引っ張り出したり、abortionに関する話に絞ってもよかったかもしれないな…

*3:実は以前通っていた仏語のスクールで、同じクラスにキルギス人の女性がいたのよね。それがこのビデオを見たきっかけだったり。

*4:最近この辺の話をあれこれ勉強しているけど、結構面白いのでそれもまたいつか…

国立国会図書館の著作権処理実習の成果

2018/10/19

これ懐かしいな。この世でいつか需要があるかもしれないので残しておく。この記事そのものの説明は、そのうちやります。

 

 

阿久津資生についての報告。

 

 阿久津資生に関連する著作として国立国会図書館デジタルサーチで公開されているものは、『実用薬物学』の巻の一~四のみである[1]。ただし、それらは佐藤佐と校補を行ったものであり、彼自身の著作ではない。彼の没年について数年前に調べた記録がweb上には存在するが、参照されているリンクがすでに切れている[2]。このような事情から、阿久津の没年を中心に再び調べることは意義があると考えて、主には彼の著作物、彼自身の名前をGoogleで検索にかけることで、情報を収集していった。

 まず、阿久津資生の紹介をその周辺にも言及しながら述べていく。彼の子である阿久津三郎について述べた研究の中で、資生の略歴が記されていた[3]。それによると、阿久津家は大田原藩藩医であり[4]、資生は順天堂医院の初代院長である[5]佐藤尚中に学び、戊辰戦争など明治維新前後に軍医としての実務に当たった。その佐藤からの推薦を受けて、三郎は資生の養子となった。三郎は福島県相馬郡藩医の菅野三徹の子であるが、佐藤尚中も本名は山口舜海といい、佐藤泰然の弟子となったのちに養子となり佐藤の姓を名乗っているため[6]、当時の医者を志す人々の中では医師の養子になるということもとりわけ珍しいことではなかったのであろう。

 また、資生は明治9年に全校で統一されて与えられるようになった、医師免状を全国で353番目に取得している[7]。取得要件は医師免許の試験に合格するか、東京大学医学部を卒業するか、医師として十分な地位の公職に就任していることであり、おそらくは3番目の要件に該当したと考えられる。というのも、先述のように資生は順天堂の同主であった、佐藤尚中や佐藤進とともに、当時の医療における最先端を担っていたからである。実際、順天堂醫事研究會(現在の順天堂医医学会)が明治18年に雑誌としての研究報告書を出版するようになるのだが、資生はこのときに幹事として名を連ねており(会長は佐藤進)[8]、のちにはその代表に就任している[9]

 生前の資生についてweb上で記載されている情報としては以上のようなものとなる。次に、彼の没年に関する情報について述べる。彼の没年を探る手がかりとなるのは、彼の墓である。医学図書館およびその研究団体であるシソーラス研究会が運営する、「医学用語を歩く!」(http://sisoken.la.coocan.jp/ 2017/7/13閲覧)というwebページにおいて、「江戸東京医史学散歩」というコーナーがあり、そこで阿久津家の墓についての情報があった。阿久津資生が染井霊園、三郎が染井泰宗寺に埋葬されており、その情報の出典については「東都掃苔記(『日本醫事新報』)」と記されていた。阿久津家の墓については昭和30年の9月3日に出版された、1636号に該当する記事があるとされている。原本を確認することができたので、以下にその該当部の記述を一部転載する。

 

 

阿久津資生翁の墓

 

染井霊園一種ロ六號五側に、湯島の佐藤順天堂醫院創立功労者の一人である阿久津資生翁の墓碑がある。その表面には「阿久津資生 妻千嘉子の墓」とあり、裏面には「大正四年九月二十日歿 行年七十號蕉窓 昭和五年九月十六日歿 行年七十七俗名千嘉子」とある。[10]

 

 

 この記述を参考にすると、阿久津資生の没年は大正4年、つまり1915年であり、その年に彼は70歳であったことから、生年は1845年であったということになる。実習としては以上で十分なのであるが、「東都掃苔記」と、中西(1996)における資生の記述に関する齟齬があったので、報告しておく。

 中西によれば、既に述べたように資生は尚中に師事したとされているが、「東都掃苔記」では資生は佐藤泰然に師事したと記されているのだ。佐藤泰然の生没年は1804-1872年[11]であり、佐藤尚中の生没年が1827-1882年である[12]から、生没年からすればいずれに師事していたとしてもおかしくはない。ただ、尚中は15歳ごろから江戸に出て医学を学んだようなので[13]、仮に資生も10代半ばで医学を志したとすれば、1862年には泰然が横浜に隠居していることから考えると[14]、尚中の方が妥当であると言えるだろう。

 

 

 

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[1]http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/837433(2017/7/13閲覧)。公開は著作権法第67条第1項に基づくとのこと。

[2] http://www.shayashi.jp/courses/2013/moku2zenki/review.html(2017/7/13閲覧)

[3] 中西淳朗 1996.徳川昭武公の「順天堂入院日誌」について(第二報).日本医師学雑誌42-2,1482,p260-261.

[4] 中西の研究では「太田原」とあるが、大田原を誤ってこのように記入したと考えられる。

[5] 順天堂大学は和田塾を開いた佐藤泰然を創始者としているが、湯島の医院自体は養子の尚中が設立している。http://www.juntendo.ac.jp/way/president.html(2017/7/13閲覧)。

[6] https://kotobank.jp/佐藤尚中のページを参照。2017/7/13閲覧)

[7] http://doctor.shioya.verse.jp/?eid=41(2017/7/13閲覧)

[8] http://www.juntendo.ac.jp/facility/journal/back/ceo.html(2017/7/13閲覧)

[9] 注7のサイトを参考。

[10] 安西安周 1955.「東都掃苔記」(『日本醫事新報』,1636号,p50)

[11] 前注5参照。

[12]コトバンク 佐藤尚

https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B0%9A%E4%B8%AD-69316(2017/7/23閲覧)

[13] 同上

[14] 高安伸子(2008)「佐藤泰然一族とヘボン」(『日本醫史學雜誌』,日本医史学会,54-2,1530,p111.)http://jsmh.umin.jp/journal/54-2/111.pdf (2017/7/23閲覧)